批判の中心は、任命されなかった6人が集団的自衛権の限定的行使を可能にする安全保障関連法案や、重大な機密を漏らした公務員らへの罰則を強化する特定秘密保護法案に反対したという点にある。
菅首相は任命しなかった理由を明らかにしていないが、ここで留意したいのは、安保法反対派も任命されているという事実である。
10月に学術会議の新会員に任命された99人のうち、少なくとも10人が安全保障関連法案に反対していたことが、産経新聞の調べで判明している(2020年10月8日付電子版)。一部野党は、安保関連法案など政府提出法案への反対が理由ではないかと批判しているが、その根拠は必ずしも当たらないことが、この事実からはっきりした。
大事なことは、学術会議が根本的な部分で、どれだけ日本国民に背を向けているのか、政府、自民党が本当のことを明らかにすることだ。そうすれば、国民の多くはきっと理解してくれるはずだ。
たとえば、自国の防衛研究への協力を忌避する一方で、学術研究の軍事転用を図る中国の科学技術協会と協力促進を目的とした覚書を交わしている。この二重基準について、学術会議は国民にどう説明するのか。
中国との協力関係によって他国の知的財産を奪い、軍事研究に結び付けることを狙う中国の頭脳狩り「千人計画」への日本人研究者の参加に結果的にお墨付きを与えることになっていないか。
後述するが、自民党幹部のなかには学術会議と千人計画の関係に警鐘を鳴らす向きもある。菅政権の取り組むべき優先課題の一つであろう。
政府を批判する側には、「選べない任命」を強調する見解もある。内閣総理大臣を任命するのは天皇陛下だが、選ぶのは国会であって、拒否する権利はないという理屈だ。裁判官は内閣が任命するが、選ぶのは最高裁判所であって、内閣に拒否する権限はないという見方もある。
「推薦した候補は全員任命しろ」という傲慢さ
ただ、国会議員は選挙の洗礼を受け、最高裁判所は司法試験や国家公務員試験といった試験にパスした人物らが選んでいる。試験はともかく、学術会議は国民の審判を仰いだことがあるのか。選挙で選ばれたわけでもなく、どんな資格があって国民になり代わり、身内で都合のよい推薦を繰り返してきたのか。国会でおおいに議論したらよい。
学術会議の姿勢も問題だ。学術会議法で首相の任命権が規定されているのに、裁量権はなく、学術会議が推薦した候補は全員任命すべきだという言い分こそ、傲慢である。
任命を拒否された松宮孝明立命館大学教授はテレビ番組に出演し、「ここ(任命)に手を出すと内閣が倒れる危険がある」などと語っていた。野党に菅政権を倒してもらい、よもや再び学術会議に推薦してもらって会員に任命してほしいとは思っていないだろうが、勘違いも甚だしい。
学術会議は「学者の国会」とされているが、政府内に巣食う伏魔殿と化していないか。それが言い過ぎというのなら、「学者の全国人民代表会議」はどうか。会員は立派な業績を残した人格高潔な学者や研究者らの集まりと信じたい。会員のみながみな、このようなタチの悪い学者ばかりではないはずだ。仲間うちで新規会員を推薦し合って仰々しい肩書を手に入れ、よもや歪んだエリート意識に浸ってはいなかろう。
学術会議側のいまの反発ぶりを見る限り、中国科学技術協会との関係見直しや日本の防衛研究への協力検討に舵を切るなどの自浄作用は期待できそうにない。任命権者の菅義偉首相はリーダーシップを発揮し、学術会議の廃止を含め、聖域なき改革に大ナタを振るってもらいたい。
そもそも、日本学術会議の会員になれないことが、なぜ学問の自由の侵害に当たるのか。まったくもって不可解である。会員にならなければ自由な研究ができないわけでもあるまい。自分の所属する大学なり研究機関でおおいに研究すればよいだけの話だ。会員になれない、あるいはなっていない学者、研究者には学問の自由がないとでもいうのか。
もはや誰も必要としていない
学術会議の会員になることによって、自らのステータスに箔をつけたいだけではないのか。そんな疑念にもかられる。実際、学術会議はどれだけ機能し、どれだけ国家に貢献しているといえるのだろうか。活動実態をおさらいしておく。
日本学術会議は「科学の向上発達を図り、行政、産業及び国民生活に科学を反映浸透させる」(日本学術会議法)ことを目的に1949年に設立された。会員210人は特別職の国家公務員という身分だ。年間予算は10億円超で任期は6年。3年ごとに半数が交代する。科学に関する重要事項を審議したり、政府への政策提言を行ったりするのが役割だ。
疑問なのは、勧告や答申の少なさだ。学術会議によると、勧告とは科学的な事柄について、政府に対して実現を強く勧めるものだという。答申とは、専門科学者の検討を要する事柄についての政府からの問いかけに対する回答である。
勧告は、発足当初の1949年から58年の10年間は37、以後百21(59~68年)、63(69~78年)、27(79~88年)とペースダウンし、バブル絶頂期からバブルが崩壊した10年間は8(89~98年)、以降、3(99~2008年)と減り続け、2010年8月の「総合的な科学・技術政策の確立による科学・技術研究の持続的振興に向けて」を最後に、勧告はまったく出ていない。
一方、答申は2001、04、07年の計3回だけだ。もう13年間も出ていない。政府の諮問を受けなければ答申が出ないのは当たり前だ。しかし、これが何を意味するかというと、政府の怠慢が原因というよりも、政府が学術会議を必要としていないことの表れといえよう。
科学的な事柄について、部、委員会、または分科会が実現を望む意見等を発表する提言こそ、最近3年間で80を超える。だが、日本中がコロナ禍で苦しんでいる時に、国家の知恵袋として適切なタイミングで政策提言をしてきたと胸を張って国民に説明できるのかは疑わしい。