党官僚タイプのブリンケン
イラン核合意の「仕上げ段階」でケリー国務長官を副長官として支えたのが、バイデンが新政権の国務長官に指名したアントニー・ブリンケン(1962年生)である。
ブリンケンは、議員や首長など選挙の洗礼を経る公的ポジションに就いたことはない。いわば党官僚タイプで、コロンビア大学の法科大学院を修了後、数年法律事務所で働き、その後は一貫して民主党の大統領や上院議員のスタッフとして、あるいは民主党政権下の国務省において仕事をしてきた。
具体的には、クリントン・ホワイトハウスでNSCスタッフ、欧州・カナダ担当部長を務め、共和党のブッシュ長男政権の間は、バイデン上院外交委員長の首席スタッフ、続くオバマ政権期はバイデン副大統領の安保補佐官、次いで国務副長官を務めた。国務長官の候補者としては相当地味な経歴である。
たとえばオバマ政権の最初の国務長官ヒラリー・クリントンは、実力派ファースト・レディ、上院議員を務め、かつ誰もが認めるポスト・オバマの最有力候補だった。
ヒラリーから国務長官職を受け継いだジョン・ケリーは、ケネディ兄弟を出し、ハーバード大学があるリベラルの牙城マサチューセッツ州選出の上院議員を長年務め、外交委員長など要職を歴任したあと、敗れはしたが、2004年の民主党大統領候補となった人物である。
ケリーのきわめて宥和的な外交姿勢
実は私は、ケリーと、ごく短時間だが言葉を交わしたことがある。10年近く前、所用で米上院の議員会館を訪れ、ちょうど開いたエレベーターに乗ろうとしたところ、「それは議員専用」と脇から小さく注意する声が聞こえた。表示を見ると、たしかにそう書いてある。軽く会釈して身を引きかけたところ、なかにただ一人乗っていた長身の人物が、「カモン。私の同行者ということにしておこう。どうぞ」と招き入れてくれた。それがケリー上院議員だった。
思わず、「何といい人なのか」と感動しかけたが、ケリーがリベラル派を中心に豊かな人脈を誇る事情が分かったような気がした。
しかし問題は、ケリーのきわめて宥和的な外交姿勢である。
以下はある外務省幹部に聞いた話だが、イラン核合意から約一年を経た頃、米側から、外相同士の緊急電話会談を行いたい旨、要請がきた。急いで準備を整え、翌朝、岸田文雄外相に早めの出勤を促して電話を待ったところ、ケリーの口から出たのは、「形式的には制裁が解除されたものの、海外から投資が来ないとイランが不満を持っている。核合意を維持するため、日本企業の投資を促してほしい」との言葉だった。
およそ緊急の話とは思えないが、当時ケリーは日本のみならず、関係各国や米国内の大企業に同様の要請を繰り返し行っていた。「ケリーはイランのセールスマンか」という怒りと嘲笑の声が、ポール・ライアン下院議長(当時)ら共和党の有力者たちから上がった所以である。
気候変動問題こそ最大の脅威と位置付ける民主党政権のもと、閣僚待遇の気候変動特使として、ケリーは特に中国との踏み込んだ炭素削減合意を目指して交渉を急ぐだろう。
中国側は、ケリーに花を持たせるような画期的合意案をちらつかせつつ(統計数字をいくらでも操作できる体制なので、守るつもりはない)、協議に臨む条件として、台湾への武器供与停止、懲罰関税撤廃、ファーウェイ締め付け中止、人権問題棚上げなどを強く求めてくるはずである。
イラン核合意の前例に照らせば、ケリーは際限なく譲歩したうえ、相手のコミットを確保するため、「中国のセールスマンか」と言われるような行動を取りかねない。
仮に国務長官のブリンケンあたりがブレーキを掛けようとしても、ケリーのほうがはるかに政治力が上である。ほんの四年前まで、国務省で上司と部下の関係にあったブリンケンを、ケリーは自分のスタッフくらいにしか見ていないのではないか。