気配りだけなら岸田文雄にもあるが、いい人すぎる。政治家には舐められない怖さが必要だ。気配りばかりでは舐められ、怖さだけでは人を動かせない。二階も菅も、両方を兼ね備えている。
いま永田町で、本当に喧嘩のできる政治家は菅と二階しかいない。あとはみんな、言葉は悪いが精神的に“ジャニーズ風”だ。喧嘩の強いやつは誰が強いかわかるから、強い者同士は勝負をしかけない。だから組める。
2人とも、田中派の流れを汲む政治家であることを強調したい。二階は生粋の田中派出身。やはり田中角栄の弟子で竹下派の梶山静六の弟分が菅。闘争本能を持っているから勝つし、それがない政治家は、コロナの混乱時代に勝ち残れない。菅と二階は、その凄みの点でも似ている。
菅は無派閥で、隠れ派閥(ガネーシャの会)などに40人ほどいるが、二階と組まない限り、どう頑張っても総裁選には勝てなかった。他方で岸田政権になれば、二階は幹事長になれない。二階、菅はお互いを知り、利害も一致したということなのだ。
石破茂について、二階はよく「わしは田中角栄の直系子分、アイツは違う」という。たしかに石破は木曜クラブの事務局員で、田中派から出馬したわけではない。
父親の石破二朗は最終的に鳥取県知事を務めたが、もとは田中派だった。その父が亡くなり、角栄は息子の茂を木曜クラブに引き取って事務局員にした。いざ選挙に出るとき、鳥取には田中派の議員がいたため、角栄がミッチーに頼んで、中曽根派から出た。
2020年6月、石破は二階幹事長を訪ねて石破派の政治資金パーティでの講演を依頼した。二階は快諾し、記者会見で「期待の星の一人だ」と持ち上げた。石破は大喜びしていたが、幹事長なら自民党議員のパーティで講演するのは当たり前だ。
石破はこれまで一度も二階とサシで飲んだことがない。総裁選で自分を推すよう頼むのは、極端な話、徳川家康と石田三成との決戦で三成に加勢しろというようなもので、敗れれば、昔なら皆殺し。飲んだこともない相手に命を預けてくれと頼みに行き、幹事長室で会っただけで支持を取り付けたように錯覚したのは石破の甘いところだ。
石破は二階と菅は仲がいいから、菅も反岸田だろうと、あらぬ戦略を組み立てたわけだ。
二階が見た地獄
石破は「私は永田町の仲間と飲んで絆を深めることは好みでない」と常々言い続けている。 私は石破の半生記『石破茂の「日本創生」』を上梓して、政策立案能力は認めているからこそ言いたい。「石破さん、派閥を作って何年になるんですか」と。石破派は19人から一向に増えない。どころか、むしろ減っている。 石破の師、田中角栄の教えは「数は力なり」ではなかったか。 しかも石破幹事長の時代に、派閥政治の解消を主張していながら、その後、堂々と自分の派閥(水月会)を作った経緯もある。
二階は2009年の総選挙で、派閥の衆議院議員8人のうち自分一人以外、全員が落選という地獄を見た。そのとき二階は電話で「仕方がないから、伊吹派(志帥会)にわらじを脱ぐよ」と言った。そのとき伊吹派は10人ソコソコ、二階はあくまでよそ者だった。それがいまや二階派になり、国会議員は47人を数える。いかに凄腕か。