【読書亡羊】「台湾系移住民」が経験した古くて新しい問題  三尾裕子『心の中の台湾を手作りする』(慶応義塾大学三田哲学会叢書)|梶原麻衣子

【読書亡羊】「台湾系移住民」が経験した古くて新しい問題 三尾裕子『心の中の台湾を手作りする』(慶応義塾大学三田哲学会叢書)|梶原麻衣子

その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする時事書評!


お告げでできた「日本の中の台湾」

埼玉県坂戸市に、聖天宮という日本最大級の道教のお寺がある。畑の多い地区に、台北の龍山寺のような色鮮やかな寺院が急にドカンと現れるその景色は、なかなかどうして壮観だ。

聖天宮の建主は台湾人の康國典大法師。不治の病を患ったものの運良く一命をとりとめ、神様のご加護に報いるべく宮を建てようと考えていたところ、何と台湾ではなく日本の、それも埼玉県坂戸市のこの場所に建てよとのお告げがあったという。

「坂戸ってどこだ」と法師も驚いたと思うが、お告げに従って雑木林だった土地を買い、台湾から腕利きの宮大工と資材を送り込んで1995年に建立したのが、「五千匹の龍が昇る」見事な装飾の聖天宮だ。

筆者(梶原)は出身校が坂戸にあるため、地元の友人と何度か訪れたことがある。2000年前後の地元民の感覚からすると「よくわからないがいつの間にかできていた」という程度の印象だったようだが、建立から30年たった今では、地域外の人たちにも知られるようになった。

「東京から一時間ちょっとで行ける台湾」として旅行ガイドなどにも紹介されるだけでなく、寺院が「個人コスプレ撮影」の予約を承り、露出の多い衣装はNGながらも専用の更衣室まで用意するなど、日本仕様のローカライズ、いわば土着化も進んでいる。

今回、ご紹介する三尾裕子『心の中の台湾を手作りする』(慶応義塾大学三田哲学会叢書)を読んで、この聖天宮のことを思い出した。

本書は、戦前に台湾から石垣島に移住した人々の「土着化」を追ったもので、最終章に、石垣島に新しく完成した台湾式の土地公廟の話が登場する。あとがきによると「極彩色の屋根飾りの乗った、真っ赤な廟」とのことで、おそらく聖天宮と似た意匠もあるのだろう。どこか、聖天宮との「つながり」を感じたのだ。

心の中の台湾を手作りする:石垣島の台湾系移住民の人類学

台湾から石垣島へ

ただし、寺院だけが日本へやってくるのと、台湾から石垣島へ移住者がやってくるのとでは、話はまったく異なる。本書によれば、1895年以降、日本統治下となった台湾からは、遅くとも1908年には内地の労働力不足を補うために抗夫が動員されていたという。

また、台湾で盛んだったパイナップル生産・パイン缶詰製造が整理・統合されることになり、パイン製造の新天地を求めて石垣島に渡った人々もいた。

そのうちの一人が林発で、台湾では「パイン王」の異名を持つという。林発は台湾から石垣島の八重山地区に移住後もパイン製造でかなり成功したのだが、1941年に戦争が起きたことでパイン製造ができなくなり、工場も解体されてしまった。

林発は、それでもめげず、戦後のパインブームに一役買うほどの事業再興を成功させたというのだ。その功績は『はるかなるオンライ山―八重山・沖縄パイン渡来記』というドキュメンタリー映画にもなっている。

戦前の台湾から石垣島への移住はいわば「国内移動」になるが、とはいえ石垣島で台湾人は差別の対象にされることもあったという。勤勉で、台湾でのパイン業の経験も蓄積されている移住者たちは、地元民にとって「土地や仕事を奪われる危機感」を覚える対象にもなったという。

移民は仕事をしなくても非難され、仕事をしすぎても非難されかねない。こうした地元民との摩擦は、新しくて古い問題であることがわかる。

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