民生用に開発された技術が軍事に応用される事例のみならず、逆に軍事用技術が民生分野に応用され、人々の日常生活を豊かにした事例も数限りなくある。あらゆる情報通信技術は民生用にも軍事用にも使われるが、「軍事的安全保障研究と見なされる可能性」があるから開発を止めよというのだろうか。過酷な使用条件を前提とする軍事用を基準にしたほうが、民生用としても質が高くなる場合も多い。
潜在敵国やテロ集団に軍民両用技術が渡ることは当然警戒せねばならないが、学術会議はその点、中国の諸団体との交流には、無警戒どころか積極姿勢を見せてきた。共産党独裁の中国では、軍と民の線引きなどない。多くの人が指摘するとおり、犯罪的な矛盾だろう。
学術会議の声明は特に、防衛装備庁の「安全保障技術研究推進制度」を敵視し、幾重にも「慎重」姿勢で臨むよう大学はじめ研究機関に強く求めている。
「研究成果は、時に科学者の意図を離れて軍事目的に転用され、攻撃的な目的のためにも使用されうる」から、そうした可能性のある場合は受け入れてはならないというのである。
しかし、「軍事的な手段による国家の安全保障にかかわる研究」には手を出すなというのは、侵略を抑止するには「軍事的な手段」も必要と考える研究者の思想並びに「学問の自由」を否定することに他ならない。
目立った実例の一つが、北海道大学の奈良林直名誉教授が指摘するケースである。 これによって「学問の進歩」も妨げられ、日本の自衛能力の向上、経済発展も阻害された。
「京都大学宣言」への重大疑問
こうした骨のない対応を示したのは北大執行部だけではない。たとえば京大は、学術会議の「軍事的安全保障研究」禁止声明から1年後の2018年3月に「京都大学における軍事研究に関する基本方針」を発表し、「本学における研究活動は、社会の安寧と人類の幸福、平和へ貢献することを目的とするものであり、それらを脅かすことにがる軍事研究は、これを行わないこととします」と宣言している。
文の冒頭に「創立以来築いてきた自由の学風を継承し」とあるが、学術会議の決定に追従し、「平和への貢献」と「軍事研究」を対立物と捉える硬直した発想のどこに「自由の学風」があるのか。学術会議の誤りに敢然と抵抗してこその「自由の学風」ではないのか。
京大は私の出身校だが、自由な発想が湧き出る素晴らしい教授もいれば、そうでない教授もいた。要するに普通の大学である。学術会議の「権威」に立ち向かうだけの人材が、残念ながら2018年当時の執行部にはいなかったわけだろう。
学術会議の大学を威圧する力は、「優れた研究又は業績がある科学者」のうちから「内閣総理大臣が任命」した会員によって構成される国立機関であることに由来する(日本学術会議法第七条)。
しかし言うまでもなく、歴代自民党政権は「軍事的な手段」も国家安全保障に不可欠との立場を取ってきた。あの「悪夢」の民主党政権ですら、その点では同じ認識だった。
したがって本来、選挙で選ばれた国会議員多数の考えを真っ向から否定する声明を学術会議が出した2017年の時点で、国会に「学術会議廃止法案」が提出され、与野党多数の賛成で成立していなければならなかった。特に野党議員らは、昭和戦前期の「統帥権干犯」のごとく一部学界利権集団の主張に便乗して事の政局化を図るのではなく、自らの無為を反省せねばならない。
日本の大学教員には、いまだ旧社会党的な「非武装中立」を唱える化石左翼が多い。その多くは媚中派であり、中国政府の軍拡や人民監視体制の強化に資する技術を流出させてはならないといった問題意識はない。
彼らが各種学会で多数派を構成する以上、その代表選手を集めた学術会議も、政府の安全保障政策を否定する人々が差配し続けることになる。
「黙って税金からカネを出せ」といった虫の良すぎる話
北朝鮮や中国の脅威に目を閉ざす空想的平和主義者が徒党を組み、現実主義的な研究者を圧迫する仕組みとなる。首相に任命された特別職国家公務員という身分を振りかざし、税金から手当を受けつつ、である。
政府の防衛事業を組織を挙げて妨害する、人事はすべて自分たちで決める、黙って税金からカネを出せといった虫の良い話をいつまで許すのか。彼らと考えを同じくする共産党ないし社民党の政権が実現した暁に、各種審議会委員なり内閣府参与なりに任用してもらえばよいだろう。自民党政権下において、これ以上倒錯した状況を放置してはならない。
学術会議の側も、多少の矜持があるなら、6人を任用拒否した「不見識きわまりない」首相が任命権を持つ官製組織など憤然とボイコットし、独自に「真正学術会議」を作るくらいの気概を見せるべきだろう。年間10億円の手当や経費くらい、朝日新聞や左翼文化人に頼み込めば何とかしてくれるはずだ。いつまでも税金にしがみつくべきではない。
任命を拒まれた一人、岡田正則早大教授は次のように述べている。
「研究者だけで完全に独立した組織を作るというのも一つの考え方だと思う。しかしいまの日本で、日本学術会議のような学者の連合体が作れるか、ただでさえボランティアでやっている状況なので、そこが問題だと思う」
何を甘えたことを言っているのか。私も役員を務める民間シンクタンク、国家基本問題研究所(櫻井よしこ理事長)は会費と寄付のみで運営し、各分野の専門家や政治の現場に通じたジャーナリストを集めて毎週研究会を行い、提言活動を行っている。一銭の税金も入っていない。
「(学術会議は一回の出席あたり)手当ても2、3万円くらいだし、みんなボランティア精神でやっている」と岡田氏は訴える。フラッと顔を出し、左翼的コメントを口にしただけで2、3万円は、彼らが好きな「庶民感覚」から言えば暴利に近いだろう。
私は国基研の評議員兼企画委員兼研究員だが、手当ては見事にゼロである。毎日、朝から研究所に詰める常勤の職員は別だが、大学から給料を貰い、時々会議に参加する程度の人間はそれでよいと思っている。
左翼勢力も国基研同様、会費や寄付を募って、あるいは自腹で活動すればよい。なぜ、権威主義的左翼がメンバーを談合で決める会合(実態は政治活動)にだけ、国民が年間10億円以上の税金を出さねばならないのか。