同窓、松宮孝明教授の恫喝めいたセリフ
今回の6人任用却下問題では、左翼教員たちの鼻持ちならないエリート意識も改めて浮き彫りになった。
任命拒否組の一人、松宮孝明立命館大教授はメディアに頻出し、「ここ(学術会議)に手を出すと内閣が倒れる危険がありますよ。なので、政権は撤回するなり早く手を打ったほうがいいですよ。これは政権のために申し上げておきます」と恫喝めいたセリフまで口にした。
松宮(と大学の同窓なので気安く呼ばせてもらうが)とは、専門分野は違ったが、大学院の受験勉強に寧日ない猛暑の折、何人かでクーラーの効いた部屋を借り、机を並べたこともある。
知らぬ仲でもないので敢えて苦言を呈するが、真面目な学徒だったはずの君が、愚かなメディアと愚かな野党に猿回しの猿よろしく踊らされ、「学問の自由」侵害の被害者を演じているさまは、はやりの言葉で言えば「痛い」。
「学問の自由に対する挑戦」などと実際は感じてもいない綺麗事を言うのではなく、俗な政治家が任命権を持つような組織は学問の探究とは無縁どころか有害であり即刻解体すべし、と啖呵を切るべきではないか。政府は俺を任命せよなどと運動をするのではなく、学術会議ボイコットの先頭に立ってもらいたい。
最も顰蹙を買った川勝平太静岡県知事
この間の動きで最も顰蹙を買ったのは、静岡県の「学者知事」川勝平太氏だろう。10月7日の会見で、次のように述べている。
「菅義偉という人物の教養のレベルが図らずも露見したということではないか。菅義偉さんは秋田に生まれ、小学校中学校高校を出られて、東京に行って働いて、勉強せんといかんということで(大学に)通われて、学位を取られた。その後、政治の道に入っていかれて…。学問された人ではないですね。単位を取るために大学を出られたんだと思います」
まず、秋田に生まれ育ったことが教養のレベルと何の関係があるのか。東京なら教養が身に付くのか。「田舎者は無教養」という出身地に関する度し難い偏見に毒されているか、頭と口が相当ゆるいか、どちらかだろう。表面的な学歴が人間の教養のレベルを決めるという発想も、憐れなまでに権威主義的であり、教養俗物的だ。人格識見に劣る知事は多いが、この人物は間違いなく最低レベルと言える。
学術会議を牛耳ってきたのも、真の教養を欠くこうした独善的な「学者」であり、その意味で応援団にふさわしい道化師ではあった。
なお、自らを一片の恥じらいもなく「学者」と称する大学教員を見ると、異質の精神を感じざるを得ない。私は自分を学者と呼んだことはない。恥ずかしくて口に出せないのだ。
私にとって学者とは、経済、法学、政治学にまたがる壮大かつ緻密な業績を残したフリードリヒ・ハイエクのような人を指すのであって、私も含む一般の大学教員は、学徒ではあっても学者と胸を張れる存在ではない。そうした自省の念、廉恥心、というより常識を欠くのが、「政治家が学者の人事に口を出すのは許されない。独裁への道だ」と叫んでいる人々だと言える。
これ以上、大学教員はプライドのみ肥大化した夜郎自大な存在と世間に印象付けるのはやめてもらいたい。迷惑このうえない。