私はそれを見て、「利権にしがみつく俗物左翼のためになぜ納税者が声を上げねばならないのか。国民はそこまで馬鹿ではない。蓮舫らしい、一点の曇りもない愚かさだ」とSNSで発信したが、首相官邸前でシュプレヒコールを上げる人々ならいざ知らず、政治家ならもっと深い構造に目を向けるべきだろう。
少なくとも人文社会系に関する限り、大学教員の多くは、そして彼らが多数を占める老舗の学会の多くは左翼的傾向を帯びている。それゆえ、以上のようなプロセスを経て決められる候補者は当然、左翼が中心となる。
税金の浪費を超えた国益を損なう悪質さ
学術会議の新会員は、「(会議自身の)推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」というのが日本学術会議法の規定である。これを、間接的であれ国民が選挙で選んだ首相が、何ら国民の審判を経ない集団の談合結果を丸呑みし、税金から活動資金を拠出せねばならないと解釈するのは、明らかに民主制の理念に反する。首相には最低限、拒否権がなければならない。
しかし、問題はその次元に留まらない。官邸および各官庁が常設あるいは臨時の審議会や懇談会を多数設けるなか、屋上屋を架す日本学術会議のような存在に、既往はいざ知らずいまや意味はない。行政改革の観点からも速やかに廃止すべきである。
「それでは日本にはアカデミーがないのかと思われる」と利権護持派は口を尖らすが、「学術上功績顕著な科学者を優遇するための機関として文部科学省に設置」された学士院がある(日本学士院法)。そもそも「アカデミー」なる古代ギリシャ的な特権サロンが情報化の進んだ現代にいるのかという議論は措くとしても、少なくとも税立の機関は、一つあれば充分である。
学術会議は、税金の浪費という問題を超えて、偏狭かつ非現実的な左翼イデオロギーを掲げる活動家的な大学教員が牛耳り、特に安全保障に関する「学問の自由」を抑圧している点で、明確に国益を損なう存在である。いまに始まった話ではないが、近年顕著に悪質の度を加えた。一応成り立ちから見ておこう。