朝日新聞が社説で、「このままでは学者が萎縮し自由な研究や発信ができなくなるおそれがある」と書いていたが、そんな情けない人間と見なされたことに対し、全国の左翼教員は朝日に抗議すべきではないか。
メディアにおいては、政府に反対意見を持つ学者を入れるところに学術会議の意義があるといった議論が盛んである。しかし彼らは日常的に野党の意見聴取に応じ、野党議員の国会質問という最もオープンかつ効果的な形を通じて批判を発信している。野党側公述人として国会で意見を述べる者も少なくない。左翼の大学教員から改めて「提言」を受ける常設の税立機関など全く必要ない。
左翼教員らも実は、政府が自分たちの「提言」に耳を傾けるとは思っていない。彼らが学術会議の存続に固執するのは、全国の大学に対する威嚇装置として意味を見出しているからである。その象徴例が、すでに触れた2017年の「軍事的安全保障研究に関する声明」に他ならない。
野党やメディアからは、6人を任用拒否した理由を説明しろと政府を叩く声が上がっている。少々挑発的だが、こう説明すればよいだろう。
「政府としては、この6人には税金を使って提言してもらうほどの見識がなく、また国際交流に関与させると国益を損なう言動をする可能性が高いと判断した」
その判断がおかしいというなら、野党は反証を示しつつ、「こんな立派な学者たちを蹴った政府は許せない」と選挙の争点にすればよい。
一方、自民党のほうは、個々の任用の問題を超え、学術会議の廃止を明確に争点にすべきだ。推薦システムの微修正や政府全額出資の財団法人など、焼け太りを許しかねない「改革案」で妥協してはならない。(初出:月刊『Hanada』2020年12月号)
著者略歴
福井県立大学教授、国家基本問題研究所評議員・企画委員、拉致被害者を救う会全国協議会副会長。1957年大阪府生まれ。京都大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程修了。著書に『アメリカ・北朝鮮抗争史』など多数。