④移籍した後のWAC社の対応
その後のことについても記録しておく。
ぼくは一応WACの常務取締役だったが、ある日、鈴木社長からこう言われた。
「昨日の取締役会で花田サンの解任が決まりました」
それだけである。
取締役の解任は役員会ではなく、株主総会でなくては決められない。鈴木社長はそんな基本的なことも知らなかったらしい。
2016年4月、ぼくと編集部員全員4人、DTP担当者、計6人は飛鳥新社に移籍した。後に広告担当者も移籍した。
編集部員の、誰ひとり残らなかったということが、この騒動のすべてを物語っているだろう。
移ったのはいい。ところが鈴木社長は部員たちに対し、退職金を一銭も払わなかった。
長い部員は14年も(株)ワックに勤めて、「依願退職」した。なのに一銭も退職金を支払わないのだ。社は赤字でもないだろうに。
これは明らかに労働基準法違反ではないか。
そしてぼく自身、3月いっぱい在社、全力を尽くして5月号を編集し、自分で新聞広告まで作ったのに、3月分の給料は払われず、領収書と明細を提出した交通費、経費も一銭も支払われていない。
いつまでも商標がどうとか下らぬことを言うなら、われわれ6人の退職金、給料、経費を支払ってからにしてくれ。
著者略歴
月刊『Hanada』編集長。1942年、東京生まれ。66年、文藝春秋入社。88年、『週刊文春』編集長に就任。部数を51万部から76万部に伸ばして総合週刊誌のトップに。94年、『マルコポーロ』編集長に就任。低迷していた同誌部数を5倍に伸ばしたが、95年、記事が問題となり辞任、1年後に退社。以後『uno!』『メンズウォーカー』『編集会議』『WiLL』などの編集長を歴任。2016年4月より現職。