獣医師の4割がペット医に
現在、獣医師は約4万人、うち4割がペットの診療、産業動物分野に約1割、食品衛生や公衆衛生を担当する公務員が約2.4割。そのため、60年代に酪農学園大学と北里大学の私立2校が獣医学科を作り、定員を増やして930名としましたが、小動物診療へ進む学生の増加率をカバーすることができず、依然として大動物臨床や公衆衛生獣医師は決定的に不足している状態です。
私立2校を作って以降、日本獣医師会は1979年に「定員増はこれで打ち止め」とし、獣医学部の新設も定員増も認めない「岩盤規制」を始めました。これがある種の金科玉条、つまり「獣医師界における『憲法』」となり、絶対に守らなければならない基準になってしまったのです。
獣医学部新設に反対する声としては、「産業動物にかかわる獣医師の待遇を改善すべき」 「新学部を設置して定員を増やしても偏在を解消できない」「一定水準以上の教員を確保できず、質の低下に繫がりかねない」などなどです。いずれも、一般の獣医師に対して内閣府が意見を公募し、寄せられたもの(2016年)ですが、日本獣医師会の考え方が獣医師の間に浸透しているという印象です。
このような理由で、半世紀にわたって獣医師自身が獣医学部新設に反対し続けてきた結果、起きているのは日本の獣医学教育の質の低下です。
日本のすべての獣医系大学は国際水準に達していません。動物や食料の検疫、人畜共通伝染病の防疫などの面で、日本は国際的な孤児になる畏れがあります。
世界に立ち遅れる教育環境
日本の獣医学部の成り立ちを考えると、戦前の軍馬の養成校がそのまま新制国公立大学の小さな獣医学科になりました。農学部のなかの1つの学科です。
1940年代後半に、進駐軍は教育改革の目玉として、医学、歯学、獣医学教育を6年制の学部にしようと試みたのですが、獣医学だけはこれを受け入れる社会基盤がなく、4年制のままとなりました。1984年になってやっと獣医学教育が6年制になりましたが、国公立大学で「獣医学部」になっているのは北海道大学だけで、その北大ですら世界ランキングでは戦えず、帯広畜産大学と併せてようやく世界レベルに近づくことができる、というのが現状です。
なぜ進駐軍が獣医学を医学や歯学と同様に6年制にするよう求めたかといえば、欧米では獣医師の仕事は人間の健康にとって医師、歯科医師と同様の重要な職業だと認知されているからです。
欧米では歴史的にも家畜と隣り合わせで暮らし、畜産製品を主食にしてきました。結核、インフルエンザ、食中毒など人間の病気のほとんどが家畜からくる。だから、家畜の健康は人間の健康でもあるという考えが浸透しています。人畜共通の伝染病の診断・治療や蔓延防止は、獣医師の重要な役割の1つなのです。
獣医学教育の質で世界トップを走るアメリカ、イギリス、EU諸国などでは、獣医学部が医学部と同じレベルの教育・研究機関や病院、そして教員数を持っています。獣医学の教育項目は医学とほぼ同様で、内科、外科などの臨床科目から解剖、生理などの基礎科目まで幅広い分野に及びます。日本のように、これを医学よりもずっと小規模の学科体制でカバーしようというほうにこそ、無理がある。
にもかかわらず、日本では数十年にもわたって「入学定員930人・16校体制」が続いてきたことから、教員は自校で教えるのに必要な数しか養成されていません。獣医学教育基準では、定員30~120名の学生に対し、68~77人の教員が必要とされていますが、この基準に合格する大学はありません。
また、獣医師国家試験の受験者数を見れば明らかなように、定員を超える水増し入学も多いことから、学生たちに十分な設備が行き届かず、人と人の頭の間から実習を見学するだけで実際に実習に参加できないなど、十分な知識や技術を身に付けられないまま卒業に至るケースも少なくない。これは日本の獣医学にとって非常に大きな損失という他ないでしょう。