ソ連による思想教育
前述したとおり、ハバロフスク裁判が始まったのは1949年の年末であり、被告はすでに4年もの抑留生活を送っていたことになる。
シベリア抑留者に対して徹底した思想教育(赤化教育)が行われたのは、広く知られているとおりである。抑留者たちの引揚港となった舞鶴港では、港に立つと同時に、 「天皇島上陸!」と叫ぶ者たちが少なからずいたとされる。いわゆる「赤い引揚者」である。長期にわたる苛酷な思想教育の結果、抑留者のなかには共産主義に染まった者たちが大勢いた。昭和史の哀しき逸話である。
抑留生活中には、短期間で共産主義に感化される者もいれば、一日でも早く帰国するため、面従腹背で矯正されたフリをした者も多くいたという。いずれにせよ、抑留という極めて特殊な状況下において、ソ連側の意向に反する主張や行動をすることなど不可能であった。
シベリア抑留史に関する研究の常識を一切無視
ロシアの国家的犯罪。シベリアの鉄道建設現場で強制労働をさせられる日本人抑留者たち
ハバロフスク裁判とは、そんな状況が4年も続いた末に開廷された裁判であった。法廷に自由な言論などあったはずがない。これは極めて重要な歴史的側面である。この部分を無視、あるいは軽視しては、等身大の史実に近付くことなどできない。これは、シベリア抑留史に関する研究の常識でもある。
しかし同番組では、裁判の肉声に以上のような観点が全く加えられないまま話が進められていく。裁判に関する複眼的な見方は、最後まで呈示されない。なぜ、このような一面的な構成となってしまったのか。
改めて記すが、私は731部隊にまつわる疑惑のすべてが捏造だったと言う気はない。同番組で紹介されたすべての肉声を、「嘘の証言」と断定することなどできるはずがない。731部隊が細菌兵器の研究を進めていたのは事実であり、現在の視点から考えれば非人道的だったと言わざるをえない光景もあったのだろう。
しかし少なくとも、ハバロフスク裁判の本質が極めて一方的なものであったという点は、看過してはならない歴史的な事柄のはずである。被告は、ソ連側の主張に反すれば帰国ができなくなるという絶望的な状況下にあった。この側面を考慮に入れるべきなのは、至極当然のことである。まさか、独裁国家であるソ連が主導した戦勝国裁判が、公正で信頼に足るものであったと考える人は少ないであろう。にもかかわらず、同番組はこの点に関して不自然なほど言及しない。
裁判の本質を丁寧に吟味することなく、音声記録だけをもって論を進めていくその姿勢には、強い違和感を覚えた。本来ならば、「この裁判が抱えていた問題点」を正面から見据えたうえで、周到に論考していく必要があったのではないだろうか。より多面的な視点を一つでも増やすことこそが、番組名が掲げるところの「731部隊の真実」に近付く唯一の道だったはずである。