金正恩が後継者に内定したのは2009年1月のことだった。父親の金正日が前年に脳卒中で倒れ、一命は取り留めたものの、後遺症で認知症を発症して執務困難に陥る。その緊急避難措置として、北朝鮮は張成沢を中心とする実質的な集団指導体制に入り、同時に後継者選びを急いだ。紆余曲折の末、金正日の息子3人のうち、長男でも次男でもなく、当時30歳にも届かない男坊の金正恩が後継者に内定した。
権力世襲二代目の金正日の場合には、「能力本位で後継者を選んだ結果、偶然にも金日成の息子の金正日だった」と言い張った。社会主義の理念に反する権力世襲への批判を逃れる苦肉の策である。だが、若輩の金正恩には労働党や人民軍で修行を積んだ経験も実績もない。とても「能力本位」の詭弁は通用しない。金正恩の世襲を正当化するには、「革命の血筋」(白頭血統)を前面に押し出すしか方法がなかった。その意味では、血統だけに頼って誕生した金正恩政権こそが、純粋な世襲政権の名に相応しい。
金正日の神格化は、父親=金日成と母親=金正淑の神格化を通して完成済みだ。残るは金正日の「妻」=高英姫の神格化作業だけである。ところが、この作業が難関中の難関だった。身分制度の価値観に深く巣食う「魔物」が潜んでいた。
大阪で広まった「玉の輿」の噂
金正日が高英姫と「通い婚」で同居していたことは、高位幹部の間ではよく知られた事実だ。高英姫が大阪・鶴橋生まれなので、在日朝鮮人帰国者の間でも「玉の輿」の噂が広まった。それも決して口外できない「公然の秘密」だった。
そこで金正恩は苦肉の策をひねり出す。高英姫の経歴を隠し、偽名を使って神格化作業を進める奇策を弄することにした。その集大成が、住民教育用に制作された『偉大なる先軍朝鮮のお母様』と題された記録映画(約85分)だ。金正恩が玉座に就いて間もない2012年5月、人民軍と労働党の限られた高位幹部を対象に同記録映画の「試写会」が催された。
筆者はこの試写会実施を同年5月中旬に知り、北朝鮮内の協力者を通じて6月初旬に同映像の完全版を密かに入手した。それは同年6月30日に、TBS「報道特集」が「世界初公開!金正恩第一書記の母親の動画と肉声」と銘打って放送された。
筆者の得た内部情報によると、同記録映画は本来なら、同年12月の金正日の一周忌に合わせ、北朝鮮国内で大々的に鳴り物入りの一般公開をする手はずになっていた。その前に、筆者が勝手に全世界に向けて「封切り」した格好になった。その後、今日に至るまで、同記録映画は北朝鮮国内で未公開のままである。
「この映画が表に出れば、失うものばかりで得るものがない」
そこに2017年1月、この「封切り中止」の内幕を示す興味深い証言が飛び出した。韓国に亡命した太永浩元北朝鮮駐英公使によれば、同記録映画の試写会に参加した労働党幹部たちが一般公開に猛反対した。「この映画が表に出れば、失うものばかりで得るものがない」とまで酷評した(「正恩氏母の映画、お蔵入り?」、1月18日、朝日新聞)。記事中では理由が明かされていないが、上述の「不都合な真実」のせいであることは疑いない。