原発なしでは立ち行かない
関電の場合、関電側から吉田開発やメンテナンス会社に3年間で計約113億円の工事が、警備会社にも警備事業が発注された。そのなかの一部が裏金として森山元助役にキックバックされており、それが税務申告されていなかった。さらに、関電が森山元助役から渡された三・二億円相当の金品も税務申告されていなかった。
この2点によって国税局が動いたのです。もし、例に挙げたような建前上問題のない仕組みを構築しておけば、この問題は表に出なかったかもしれません。
もう一つ押さえておくべきなのは、高浜町と原発との関連です。
2011年の東日本大震災の1年後くらいに、たまたま講演を頼まれ、高浜町へ行ったことがあります。実はこの時、”町の実力者”として森山氏と面談しました。挨拶程度しかしませんでしたが。
高浜町はとんでもなく不便な場所にある。電車だったら名古屋駅から特急で1時間半で敦賀駅に着き、さらに1時間半かけて単線のディーゼル車に乗る。「東舞鶴から来たほうがいい」と言われましたが、そもそも東舞鶴に行くのも大変。とにかく、辺鄙な田舎町なのです。
講演の前に、駅にほど近いところにある、夜はスナック、昼は喫茶店という店に入り、コーヒーを飲みながら、ママさんとこんな会話をしました。
「この町は原発で経済が回っている。三人に二人は原発絡みの仕事をしているから、原発が動いてくれないと、こっちの生活が上がったりなんです」
「お店に来るのも、そういう仕事の人ばかりですか?」
「そうです。そういうお客さんで成り立っている店なんですよ」
住んでいる人にとって原発は必要だし、再稼働をしてほしい。だから、反対派や反対運動を起こす人間は困る。とは言え、関電が反対派の人たちの家を一軒一軒回っていては、話が全く進まない。そのためにも、調整役(フィクサー)が必要になる。
特に関電は、震災以前の発電比率は原発が44%も占める。震災を機に、原発は次々に止まっていってしまったが、早く再稼働をさせたい。そのためにも地元の説得は急務だった。そんななかで、高浜原発の3号機4号機がいち早く再稼働したのは、森山元助役の力が大きかったことの証左と言えます。おそらく震災によって、森山元助役の力はますます大きくなっていったのでしょう。
金を還流して共犯関係に
この問題を複雑にしているのは、単に関電から吉田開発などを通じて森山元助役に金が流れただけではなく、森山元助役から関電に金を還流している点です。
これは森山元助役が関電から切り捨てられないようにするため、はっきり言えば”共犯関係”を作ったのです。やくざの手口とよく似ています。共犯関係にすることで、「これがバレたら、お前も大変なことになるぞ」という脅しとなり、一方的に金をもらって場合によっては切り捨てられる側が、上の立場にすり替わるのです。
「菓子の下に金貨があった」などというのも、芝居がかったやり方をすることで印象を強め、相手の罪の意識を刺激して、新たなプレッシャーを与えているのです。
だからといって、「いや、受け取れない」と拒否をすれば、「じゃあ俺と敵対するのか?」と逆ねじを喰らわせられる。この状況では、受け取るしかないといえばないのです。
私の場合、その種の人に高額なご馳走をされてしまったら、別の機会に同額あるいはもっと高額なものをご馳走します。そうすると、相手は「こいつの弱みは握れない」とわかって、二度とそういうことはしてきません。
関西電力の場合、企業ですからそう簡単ではないでしょう。できうる方法としては、供託金のような扱いにして社内にプールしておいて、いざという時にすぐに対応できるようにしておけばよかった。関電には警察OBもいて、コンプライアンス・セクションもある。なのに、なぜこういった対応をしなかったのか。あくまで会社としては情報を共有せずに、個人の問題として処理をしたかったのかもしれませんが、それは悪手でしょう。結果的に、関電そのものの信頼にかかわる問題になってしまった。
実は関電の原子力事業本部は、2005年に大阪市の本店から福井県美浜町に移転し、それ以降、森山元助役からの金品授受がエスカレートしたと言われています。現職の関電社員に訊いても、「あそこはブラックボックスで、何をしているかわからない」。たしかに会長、社長などが金品を授受していたけれど、国税としての本丸はこの事業本部なのかもしれません。