稲田朋美「告発」までの3時間
編集部 それが昨年の3月12日のこと。その日、私(編集部・梶原)は午前中から籠池家で取材していました。当時、自宅前はメディアに囲まれ、次女は買い物をしているところまで追いかけ回され、盗撮されるという気の毒な有り様でした。
取材が始まって6時間近く経った頃、佳茂さんが菅野氏を連れて入ってきたので驚いたのです。その際は押し問答になり、前理事長は菅野氏に「あんたやりすぎや。恨んでるで」と言い、諄子氏は「あんたに苦しめられて……」と言っていた。
しかしそこから3時間以上の話し合いのなかで、菅野氏は籠池夫妻に「理事長に後ろ足で砂をかけたやつが何人もいる」 「誰かを刺したくはないか」としきりに持ちかけた。
安倍総理批判をさせようとしていた場面もありましたが、それは前理事長が頑なに断った。「安倍さんは応援しているから刺したくない。昭恵さんも含めて刺すような材料もない」と。
しかし、妻の諄子氏はもともと知り合いだったにもかかわらず、「疎遠だ」と国会で答弁していた稲田朋美防衛大臣(当時)に対する怒りを募らせていた。
諄子氏が口を滑らせたところに菅野氏が、「では、夫の龍示氏だけでなく、稲田朋美も森友学園の顧問弁護士だったことを告発しよう」と持ちかけたのです。
菅野氏は、「稲田を刺せば、明日から家の前のマスコミはいなくなる。矛先が稲田に向かう」 「この森友問題は麻生太郎氏が倒閣のために画策したことなので、麻生と稲田を刺せば官邸も喜ぶ」などと説得。
そして、「『稲田告発動画』をいますぐ撮影し、明日の午前中に流せば効果的だ。明日の国会で事前質問なしで稲田にぶつけられる。もう明日から、メディアは家の前からいなくなる」と急かし、籠池夫妻もその話に乗ったのです。
完全にパニック状態に
小川 そして13日月曜日の朝9時に、「稲田大臣は森友の顧問弁護士を務めていた」という動画がネット上で公開されたのですね。
編集部 13日、9時前から始まった予算委員会で、当時民進党だった小川敏夫議員が稲田大臣にこの件を質問しています。
通告なしの質問を受けた稲田大臣は慌ててこれを否定しましたが、稲田大臣の名前が記載された森友関連の訴訟の準備書面も提示され、翌14日に稲田大臣は顧問弁護士だったことを認めざるを得なくなりました。
小川 国会のタイミングまで見計らって仕掛けていたとは驚かされます。菅野氏と野党は、すでに連携していたということですね。
ただ、当然のことながら、これでご両親はますます渦中の人となってしまった。しかも、稲田大臣を攻撃することは、すなわち内閣への攻撃になってしまう。
実際、この時点ではまだ「土地問題についてはわからないが、塚本幼稚園の教育内容は悪くない」という態度だった保守派も硬化し、籠池家はますます保守のなかで孤立することになったわけです。予測できなかったのですか。
籠池 特に母は、稲田議員に対する怒りがあったので、そこに付け入られてしまった。何より、メディアスクラムを解きたかったし、母は父が破産する、あるいは逮捕されることを避けたかったのです。
3月14日には日本会議が、「6年前に退会しており、無関係である」と公表していたことが報じられました。
そして3月15日、当初は東京の記者クラブで会見を開く予定だったのですが、キャンセルしました。しかし東京行きの航空券が手元にあったため、母が「せっかく券があるんだから東京に行こう。家の周りはマスコミに囲まれていてゆっくりできない」と言い出したのです。
自宅から伊丹空港までも車やバイクでマスコミに追いかけられ、這う這うの体で飛行機に乗り込んだのですが、東京に着くと大阪とは比べ物にならないほどのマスコミが大挙して殺到していました。
どうにもならなくなって菅野氏に電話したところ、大阪にいた彼から「自分が東京に戻るまでの間、自由党の小沢一郎と共産党の小池晃の予定をおさえたから会ってくれ」と言われました。
小川 なんと。ということは、菅野氏は先に小沢氏と小池氏の予定をおさえていたのですか。
籠池 そうだと思います。しかし、とても会いに行けるような状態ではなかった。そのことを菅野氏に伝えると、「とにかく自分の自宅へ向かへ」と指示を受けた。
菅野氏の自宅に行くまでの間もマスコミに追いかけられ、中継ヘリで追跡したテレビ局もあったそうです。私も両親も、完全にパニックに陥っていました。