【読書亡羊】安倍晋三はこうして歴史になっていく  服部龍二『安倍晋三』(中公新書)|梶原麻衣子

【読書亡羊】安倍晋三はこうして歴史になっていく 服部龍二『安倍晋三』(中公新書)|梶原麻衣子

その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする時事書評!


と言いつつも、2020年から執筆を構想し資料を集め始めていたという服部氏。まだ歴史になり切っていない政治家の評伝を書き、客観的に評価するのは至難の業だが、本書はその難しい仕事を針の穴に糸を通すかのようにやってのけたと言っていいだろう。

本書は情報公開法による開示文書を含む豊富な、膨大な資料を基に〈同時代の目撃者の責務〉として書かれた一冊となっている。

安倍政権の本当の対中姿勢

内容は多岐にわたるため、ここでは外交に関する部分に焦点を絞ってご紹介したい。

「知ってるつもり」の安倍政権だが、本書を読んで面白いことに気づかされる。二回目の総理退任後には「台湾有事は日本有事」というフレーズを印象付けた「対中強硬派」と見られる安倍だが、実は首相としては第一次政権時も、第二次政権時も、中国に対してはむしろ融和的な姿勢を取ってきたのである。

第一次政権就任後は、初の外遊先に中国(と韓国)を選び、胡錦濤主席との間で「戦略的互恵関係」で一致。第二次政権でも、2010年の尖閣沖事件と安倍の靖国参拝等で悪化していた対中関係の立て直しを図るべく、経済面での連携を強めようと動いていたのだ。

そして、第二次政権期には世に知られる「習近平宛親書書き換え事件」も起きる。一帯一路を評価していなかった元の親書の文面を、首相秘書官である今井尚哉が〝勝手に〟書き換え、幹事長だった二階俊博に持たせたという事実である。

これは安倍が自らの訪中と、習近平の来日を実現させたかったためだとされているが、前者は2018年10月25日に実現したものの、後者は新型コロナの流行に阻まれて実現しなかった。安倍支持層の一部も習近平来日には反発していたが、対中融和の批判の矛先は、安倍以上に幹事長の二階に向けられており、安倍の対中姿勢のイメージと実態の間には、ギャップが生じていたことになる。

対中包囲網と目されるFOIPやQUADを提唱し、明らかに中国を意識して集団的自衛権行使を容認する平和安全法制の成立を急いだ安倍。一方で「中国を刺激しすぎず、経済関係は良好に」と取った間接的なアプローチについて、服部氏は〈中国が東シナ海や尖閣諸島での攻勢を強めるなかでの協調姿勢は、日本が最終的には関係改善を優先して妥協するとの誤ったシグナルを中国側に与えかねなかった〉と手厳しい。

第二次政権発足以降もしばらくの間、安倍は国内外から「戦前回帰をもくろむ右翼政治家」と見られていた。その状況でさらに中国への対立姿勢を顕著にしていたら、批判はさらに強まっていたかもしれない。

対ロ交渉という〈負のレガシー〉

同様に、本書が厳しく指摘するのは、日露交渉の失敗だ。第一次政権時からかなり前のめりに見える安倍の対露外交は、第二次政権時には官邸入りした経産官僚の後押しもあって、さらに前のめりになる。

北方領土交渉も四島から二島+αへ後退。そこまで譲ってもロシア側は「返還後に米軍基地を置くのではないか?」と揺さぶりをかけ、あるいはクリミア侵攻後の対ロ制裁に日本が加わったことなどを理由に、真剣に交渉に向き合おうとはしなかった。

というより、そもそもロシア側に交渉で領土を返還するという選択肢が存在していたのかどうか、疑わしい。

安倍は父・晋太郎が取り組んだ日露関係の前進を自身の使命と考えたのではないかと思うが、プーチンからしてみれば安倍二代にわたる悲願であろうが、何ら関係はないのである。「父の悲願を自らの手で」という前のめりの姿勢が、ロシアから見れば手玉に取りやすいものだったのだろう。

第一次安倍政権以前の森・小泉政権時代には、ロシアが提示した二島返還が検討され、やがて日本側が否定するという流れがあった。この時、保守派は二島返還にかなり強く反発していた記憶があるが、安倍政権時には批判は下火だった。

だが、もしこの時、保守派が二島返還で手を打ちかねない安倍政権の方針を大々的に批判していたらどうだったろうか。第二次安倍政権の〈負のレガシー〉として残る対ロ外交の失敗の度合いを、まだしも軽減できたのではないだろうか。 

〈側近の谷内正太郎国家安全保障局長ですら「ちょっと優しすぎる」と思えた〉ほどに〈安倍の見通しは甘かった〉。側近ですらそう感じて、方針転換を助言していたであろう安倍の見通しを、世論なり政治批評なりが変えるのは容易ではなかっただろう。

だが、それでも「岩盤支持層」と呼ばれた層の言論から、より激しい、自身への支持が揺らぐほどの批判が出ていればどうだったか。当時、雑誌に関わっていた筆者としても苦い思いがこみあげてくる。

本書が総括する安倍政権の〈負のレガシー〉を読むにつけ、同時代における的確な政治批評がいかに重要かを痛感させられるのだ。

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書評 読書亡羊 梶原麻衣子

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