昭和天皇の顔を損壊
入口には、白いカーテンがかかっている。めくって中へ入ると、幅2メートルもない狭い通路に、ぎっしり人がいた。左右の壁に作品が展示されており、それを人々が食い入るように見つめている。
手前の右側には、いきなり、昭和天皇を髑髏が見つめている版画があった。最初から“メッセージ性”全開だ。
反対の左側に目を向けると、こっちは昭和天皇の顔がくり抜かれた作品が壁に掛けられている。背景には大きく×が描かれ、正装した昭和天皇の顔を損壊した銅版画だ。タイトルは「焼かれるべき絵」。作者による天皇への剥き出しの憎悪がひしひしと伝わってくる。
(……)
皆、無言で観ている。声を上げる者は1人もいない。私も言葉を失っていた。
その先には、モニターがあり、前にはこれまた「無言の人だかり」ができている。
やはり昭和天皇がモチーフだ。昭和天皇の肖像がバーナーで焼かれ、燃え上がっていくシーンが映し出される。奇妙な音楽が流れ、なんとも嫌な思いが湧き上がる。
次第に焼かれていく昭和天皇の肖像。すべてが焼かれ、やがて燃えかすが足で踏みつけられる。強烈な映像だ。作者の昭和天皇へのヘイト(憎悪)がストレートに伝わる。
よほど昭和天皇に恨みがあるのだろう。これをつくって、作者はエクスタシーでも感じているのだろうか。そんな思いで私は映像を見つめた。思い浮かんだのは「グロテスク」という言葉だった。
画面は切り替わり、若い日本の女性が、母親への手紙を読み上げるシーンとなる。
「明日、インパールに従軍看護婦として出立します」
「私の身に何が起こっても、お国のために頑張ったと誉めてくださいね」
そんな台詞を彼女は口にする。インパール作戦は、昭和19年3月から始まった補給もないまま2,000メートル級のアラカン山脈を踏破する過酷な作戦だ。とても看護婦が同行できるようなものではない。
私自身が拙著『太平洋戦争 最後の証言』シリーズ第2部の「陸軍玉砕編」で、この作戦の生き残りに直接取材し、飢餓に陥って数万の戦死・餓死者を出し、白骨街道と化した凄まじいありさまをノンフィクションで描いている。おそらくこの映像作品は真実の歴史など“二の次”なのだろう。
やがて、海岸の砂浜にドラム缶が置かれた場面となり、そのドラム缶が爆発し、宙に舞う。まったく意味不明だ。
私の頭には、「自己満足」という言葉も浮かんできた。これをつくり、展示してもらうことで作者は溜飲を下げ、きっと自らの「創造性(?)」を満足させたのだろう。
しかし、私には、取材させてもらった老兵たち、つまり多くの戦友を失った元兵士たちがどんな思いでこれを観るだろうか、ということが頭に浮かんだ。そして一般の日本人は、これを観て何を感じるだろうか、と。
当時の若者は日本の未来を信じ、そのために尊い命を捧げた。私たち後世の人間が、2度とあの惨禍をくり返さない意味でもその先人の無念を語り継ぐことは大切だ。少なくとも私はそういう思いで10冊を超える戦争ノンフィクションを書いてきた。