ドイルにとって妖精の実在は特別の意味があるものだった。「妖精の存在を認めるということは、物質文明に侵され、泥の轍に深くはまりこんだ20世紀の精神にとって、たいへんな衝撃となると思う。同時にそれはまた、この世には魅力的で神秘的な生命があることを、認めることにもなろう」。
第一次世界大戦(1914~1918年)によって、イギリスをはじめヨーロッパの多くの若者が泥沼のような戦場で命を落とした。『妖精の出現』が出版された1922年は、戦争で肉親を亡くした悲しみが社会全体を覆う閉塞した時代であった。その中にあって、ドイルは妖精に光明を見たのであった。
66年後の真実と残された謎
写真が撮られてから66年後の1983年。コティングリーの妖精の真実が明らかにされた。晩年のエルシーとフランシスが、テレビ局のインタビューに答えた。フランシスは、実際に妖精を見たのだが、大人たちが信じようとしないため、エルシーとともに証拠となる写真を撮ることにしたのだという。
エルシーは五枚の妖精写真のうち、⑤「妖精の日光浴」を除く四枚は、絵本の妖精の絵を手本に、自身で紙に描いて色を塗ったものを切り抜き、長い帽子のピンで留めてキノコの上に差して撮影したものだと告白した。
『妖精の出現』の翻訳者である井村君江によると「偽作を人々にもっとも長く信じ込ませていた事件」としてギネス・ブックに載ったという。
ドイルはこうした少女たちの真相の告白を知ることもなく、1930年に亡くなっている。客観的な事実から事件の真相を突き止めるシャーロック・ホームズとは正反対に、信じたいものを肯定する情報だけを集め、否定する情報は退けるという「確証バイアス」にとらわれ続けた人生だった。
コティングリーの妖精事件の顛末は、証拠と見なされた写真が人々の願望に沿う形で真実化していった過程を示している。現代でもSNS上に生成AIによるフェイク画像や動画が拡散し、政治的不信や陰謀論を煽る例は後を絶たない。コティングリーの妖精たちは、技術が進歩しても「信じたいものを信じる」という人間の根本的な心理が、今も昔も変わらないことを私たちに教えている。
ただ、謎は残っている。フランシスは実際に妖精を見たと証言しているし、エルシーも⑤の写真だけは自分が捏造したものではないと言っている。あの世からドイルは「写真が偽物だとしても、妖精の実在を否定する証拠にはならない」と言っていることだろう。

