田原総一朗氏に「無知で下品」と面罵された過去
高市早苗さんといえば、総務大臣や党幹部などの重職を歴任した、自民党の大物女性議員だ。その高市さんがいま(21年3月11日)、文春砲が発端の、極めて不当な「メディアリンチ」に遭っている。
今回の事の経緯に入る前に、高市さんはなぜ、よくメディアに虐められるのかを考えてみた。その始まりとして私の脳裏に浮かぶのはいまから18年前、テレビ番組でのワンシーンだ。当時、若手与党議員だった高市さんは画面のなかで、テレビ界の“妖怪”田原総一朗氏に「無知で下品」と面罵されていた。
いち視聴者だった私でもムカッ腹が立ったのだから、ご本人の腹立ちは察するに余りある。しかしなにぶん生放送中のこと、高市さんは感情的になることなく、無言で悔しさを噛み殺していた。この経緯は高市さんのブログにいまも残っているので引用しよう。
「満州事変以降の戦争は、日本にとって自存自衛の戦争だったと思うか?」との田原さんの問いに対して「セキュリティーの為の戦争だったと思う」と私(高市)が答えた途端、田原さんがまくしたて始めました。「下品で無知な人にバッジつけて靖国のことを語ってもらいたくない」「こういう幼稚な人が下品な言葉で靖国、靖国って言う」「靖国神社に行ったら、下品な人間の、憎たらしい顔をしたのが集まっている」
田原氏は後日この発言を謝罪したが、当時の氏は複数の番組で、議員や論客相手に同様のことをしていた。「あの戦争は侵略戦争だったか否か」と詰問し、踏み絵を迫っていたのである。
私から見れば、公共の電波を使ってチャチな「思想検閲」をする田原氏のほうがよっぽど「無知で下品」だと思ったが、当時は、ほとんどの人が田原氏の軍門に降っていた。堂々と「自衛のためだった」と答えた人はごく少数。女性議員では高市さんただ1人ではなかったかと記憶する。以来、私は、歳の近い高市さんに敬意と期待を抱いた。
それから約8年後の2010年、下野していた自民党の議員だった高市さんに、初めて1対1でお目にかかった。田原氏との1件に触れると、高市さんは存外に明るい声で、「あれは酷かったね。あのあと、朝日新聞にも叩かれて、選挙にも響いて、負けちゃったわ」と振り返った。
酷い経験を恨みがましく言わないところに、私は好感を強くした。そしてこのあと、「自民党が政権を取り返して高市さんが要職に就かれたら、まずすべきは何か」という私の問いに、彼女は次のように答えた。
「歴史認識の問題ね。個別の政策はいろいろあるけれど、何よりも、自国に対する『認識』、この大元を正さないと。過去の談話、あれらを見直すことから始める必要がある」