韓国で朴槿恵大統領の弾劾から2年半が経過したが、ほとんどの人たちは当時、正確に何が起こったのか、弾劾が韓国法治にどれほど多大な否定的影響を及ぼしたのか、十分に認識していない。
大多数の人は、弾劾過程が憲法と法律によって公明正大に進められたと信じている。 例えば、国家の三権分立が十分に作用し、すなわち、立法府と司法府が行政府を牽制し、権力間の均衡を守ったと考えている。 弾劾訴追案が国会採決後、憲法裁判所に提出され、憲法裁判所にて8対0という審理結果に伴い、手続きに沿って大統領を「罷免」したと見ているのだ。 当時西欧のメディアは、主に大統領の賄賂と腐敗を言及した。一見すると、まるで弾劾事件に対して膨大な調査が行われたかのようだった。
人々は朴大統領と関連する多くの容疑に明確な根拠があり、またそうした根拠が、弾劾、懲役刑を受けるに値すると無条件に前提した。なぜなら、韓国は先進国であり、民主主義国家であり、裕福な国ではないか。また、韓国の現地メディアがそのように報道し、国民自らも、ろうそくを手に立ち上がったではないか。
しかし、韓国人はもちろんのこと、朴大統領の弾劾事件を知っている外国人の中に、当時、韓国で実際に何が起こったのか、正しく知る人が果たして何人いるのか、問わざるを得ない。
つまり、朴大統領にどのような容疑があったのか、国会が弾劾訴追案の表決までどの程度の時間を費やしたのか、またどれほど多くの人が弾劾を支持したのか、根拠は正確に何だったのか、実際の捜査は十分に行われたのか、法的手続きは果たして公正かつ法律に基づいたものであったのか、である。
この報告書では、朴槿恵大統領に対する弾劾事件の全体を論じるより、実体的真実を明らかにする一環として、まずは弾劾事件の一部を紹介する。この部分(パート1)では弾劾を導いた主要な原動力は何だったのか、国会における弾劾過程の展開方式に焦点を合わせる。
この報告書の要旨は、朴大統領に対する弾劾の過程がいかに性急かつ不当で、また意図的だったかを示し、次のような質問を投げかけるものである。
もし、彼らが民主的に選出された大統領に対しても、このような行為をおこなえるのであれば、権力のない一般市民に対してはどうだったのか? このような状況において、韓国の法治はどうなるのか。 拡張して言うなら、韓国の自由民主主義はどうなっているのか。
時系列(Timeline)
- 2014年 4月16日: セウォル号沈没事故
- 2016年10月24・25・26日: JTBCの「タブレットPC」報道
- 2016年10月26日: 朴槿恵大統領辞任を要求する初のろうそく集会開始 (その後およそ10回に渡って集会が開かれた)、(集会はこれに加えて、THAAD撤退、内乱陰謀罪で拘束されたイ・ソッキの釈放、国情院の廃止などを要求)
- 2016年11月17日: 「国政壟断」と関連して、チェ・スンシルをはじめ、数名の人物に対する捜査に着手
- 2016年11月20日: チェ・スンシル拘束、起訴と裁判の開始 (チェ・スンシル捜査開始後、わずか3日後に拘束: 判決は450日が経過した2018年2月13日に宣告)
- 2016年11月28日: 共に民主党の「朴槿恵大統領弾劾訴追案の発議に向けた非常会議」
- 2016月12月3日: 国会で朴大統領の弾劾訴追案を発議 (弾劾訴追案が発議されるまで、 朴大統領に対していかなる捜査もなされず)
- 2016年12月6日: 国政調査の一環として国会聴聞会の日程が決定 (弾劾訴追案が発議される直前に日程が決まったため、聴聞会は結局開かれず)
- 2016年12月9日: 国会で朴大統領弾劾訴追案の表決、通過 (弾劾訴追案の発議からわずか6日後)
- 2016年12月9日: 弾劾反対と米韓同盟支持を主張する太極旗集会が始まる (以降、毎週土曜日毎に開催:最近の集会では文在寅大統領の辞任を要求)
- 2016年12月9日: 弾劾訴追案が憲法裁判所に提出される
- 2016年12月9日: 朴大統領の公式的な職務停止、ファン・ギョアンが大統領権限代行を務める
- 2017年3月10日: 憲法裁判所は8:0で大統領「罷免」を決定 (弾劾訴追案の発議後、92日目に成立)
米国ニクソン大統領の弾劾時系列(比較用) (U.S. President Nixon's case of near impeachment timeline (for comparison)):
- 1972月6月12日: ウォーターゲート事件の特報
- 1973年2月7日: ウォーターゲートスキャンダルを捜査するため米上院特別委員会発足(捜査は1年間継続)
- 1974年2月6日: 米下院は、弾劾に対する十分な根拠を調査する権利を司法委員会に与える決議案を通過 (捜査は約6カ月間継続)
- 1974年7月27・29・30日: 司法委員会は弾劾対象となるそれぞれの違法行為の評決を、それぞれ実施:計5件のうち3件が可決され、この3件に対する弾劾訴追案を下院に提出
- 1974年8月9日: ニクソン大統領辞任