問題は、これらの証言がこれまで何度も覆され、ホン氏のメモについては、その作成経緯自体が虚偽であることが次々と報じられている。また、この二人が野党議員らの説得と圧力を受け、尹大統領に対して致命的な証言をした経緯も明らかになってる。そもそも、戒厳令宣布は憲法に基づく大統領の固有権限であり、それに対する法的論争は存在しなかった。そこで、野党は尹大統領を内乱の首謀者として追及するため、戒厳令中に国会を麻痺させ、戒厳令解除を試みた議員を逮捕しようとした証拠を求めていた。そして、その「証拠」を都合よく提供したのがクァク氏とホン氏であり、これにより野党主導の大規模な「工作劇」が幕を開けたのである。
詐欺弾劾と内乱フレームの崩壊
前述の通り、今になってこれらの重要な証言の信憑性が大きく揺らいでいる。2月4日、ホン氏は憲法裁判所でこう証言した。「暗がりの中で(ヨ氏の)電話を受け、急いで(逮捕名簿を)書き留めた。しかし、事務所に戻ってみると字が読みづらかったため、補佐官を呼んで清書させた」。さらに、最初に自分で書いたメモについては「くしゃくしゃにして捨てた」と述べている。つまり、このメモには原本すら存在しない証拠なのだ。
[編集者注] 2月20日、憲法裁判に2度目の証人として出廷したホン氏は、突如「メモの原本がある」と主張し、それを公開した。しかし、その原本は文字が判別できないほど乱雑で、まるで幼稚園児の落書きのようなものであった。
4日後、憲法裁判所に出席したチョ・テヨン国情院長は、当該補佐官への確認の結果、ホン氏の証言とは事実関係が大きく異なることを明らかにした。また、ホン氏がメモを作成した場所についても食い違いがあった。チョ院長によると、ホン氏は「公館前の空き地でメモを書いた」と主張しているが、メモの作成時刻である11時6分には、「国情院庁舎内の自身の事務所にいたことが確認された」証言した。チョ院長は、これを裏付ける当時のCCTV映像を確認したと言った。何より、逮捕者名簿を読み上げたとされるヨ防諜司令官自身が、メモの内容を否定している。
国会のドアを壊してでも議員を引きずり出すよう指示を受けたというクァク前戦隊司令官の証言も、次第に揺らぎ始めている。昨年12月10日、尹大統領が国会業務の妨害を指示したとする国会公聴会に先立ち、クァク氏は検察に自首書を提出。彼の陳述をもとに作成された検察の公訴狀には、クァク氏が尹大統領から「斧で国会のドアを壊し、ガラス窓も割れ」と指示を受けたと述べたと記されている。しかし、憲法裁判所に証人として出廷したクァク氏の証言は大きく変わった。これまで「尹大統領が国会議員を引きずり出すよう指示した」と主張していたが、法廷では「『議員』ではなく『人員』だった」と証言を修正。また、検察の公訴状に記載されていた「斧」という表現についても、「そのような言葉は使っていない」と述べ、一貫性を欠く姿勢を見せた。