広がっていった川勝包囲網
しかし、3月26日の会見はいつもと様子が違っていた。
3月13日に川勝を表敬訪問した磐田市を本拠地とする女子サッカーチーム「静岡SSUボニータ」の監督、選手との懇談の席で、「磐田は浜松より文化が高かった」 「男の子はお母さんに育てられる」などと発言。
その件について、5人もの若い記者から「差別ではないか」と厳しい追及を受けたのだ。これまで好意的だった記者ですら、川勝の味方はしなかった。
川勝はこれまでの暴言からもわかるとおり、エリート意識が強く、他人を下に見る傾向がある。どこの大学を出たかもわからない若造につるし上げられて、プライドも傷ついたに違いない。会見が終わったあと、川勝はこれまで見たことがないほど憔悴していた。
あの会見で、川勝は「もう自分には味方がいない」と悟ったのではないか。
2022年8月、私は川勝のリニア反対のキャッチフレーズ「命の水を守る」のを暴いた『知事失格 リニアを遅らせた川勝平太 「命の水」の』(小社刊)を上梓。その頃から川勝に厳しい質問が飛ぶようになり、「川勝包囲網」形成の流れができていった。
詳しくは『知事失格』を読んでいただきたいが、水の問題は複雑で、しっかり理解していないと、弁が立つ川勝には逃げられてしまう。一方、「差別発言」は水の問題よりも単純で、若い記者でも追及しやすい。
川勝が「差別発言」を繰り返すたびに「川勝包囲網」は拡大していき、記者たちは川勝の「アラ探し」に躍起になる。川勝はどんどん逃げ場がなくなっていった。
そしてダメ押しが、冒頭の「職業差別」発言だった。会見で徹底追及を受け、なんとか切り抜けたが、予想に反してネット上でも批判が止まず、「もうつるし上げをくらうなんてまっぴらだ!」と放り投げてしまった。
包囲網が厳しくなっているのだから、舌禍事件を起こさぬよう川勝も注意を払えばよかったものを、プライドが高いから改めることができなかった。
自業自得である。
4月6日の中日新聞で、前静岡県知事の石川嘉延も、インタビューで川勝についてこう語っている。
〈自分を追い込む種を自分でまいていた。スポーツの世界で言うならオウンゴール。(大学教授だった)川勝さんは「自分より遅れて世に出た生徒に、真実のありようを教えてやる」というような立場を取る。だが政治の世界では、人が何を期待しているかを見極めて政策を練って実行することが必要。人がどう考えるかに思いを巡らさないため、失言もよくあった〉
まったく、そのとおりだろう。
幻の早稲田大学医学部誘致
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川勝平太とは何者だったのか。私の結論は、「政治を知らない、エリート意識むき出しの学者」だ。
とにかく、川勝は「政治」を知らないがために、2009年の当選以来、静岡に混乱しかもたらさなかった。
2009年、民主党公認で初当選し、県民が最も大きな期待を寄せた公約が「静岡県東部地域への医科大学誘致」だった。
静岡県は新設の浜松医科大学(入学定員120人)しかなく、医師不足に悩まされている。隣県の神奈川、愛知にはそれぞれ4医科大学、人口が静岡の約5分の1しかない山梨県が1医科大学だから、「医科大学誘致」は静岡の課題だった。
全国的に見ても人口約380万人(当時)を有する県では、どうしても二医科大学は必要になる。川勝は民主旋風の追い風に乗り、「医科大学誘致」を選挙民に約束して、支持を取り付けた。
学者出身である川勝のキャラクターに合った公約だったこともあり、選挙民の期待も大きかった。
早稲田大学出身の川勝は、三島市に保健看護学部を有する順天堂大学の協力を得て、「早稲田大学医学部」誘致をぶち上げた。しかし、早稲田側にあっさり断られてしまう。
実は、川勝は構想をぶち上げただけで、早稲田側に何の根回しも、交渉もしていなかったのだ。早稲田関係者も呆れたに違いない。川勝は自らの政治力のなさを隠したいのか、断られた理由も意味不明だった。
「静岡県の方角が“都の西北”ではないから早稲田に断られた」
結局、二期目からは「医科大学誘致」のイの字も出さなくなった。
「JR沼津駅高架事業問題」のときもひどかった。
約20年前に沼津駅の高架化が決定。高架化にあたって駅構内にある貨物駅、車両基地の移転が必要になったが、新貨物ターミナル予定地で激しい反対運動が起こった。沼津市は反対地権者に対して、強制収用手続きの調査を進めていた。