朴槿惠転落の原因
韓国初の女性大統領として華々しく登場した朴槿惠大統領は、それなりに無難なスタートを切った。日本でこそ「告げ口外交」などと評判が悪かった外交政策も、北朝鮮に開城工業団地の再稼働を検討させるなど一定の成果を挙げ、就任1年後の支持率が60%を超すなど、国民の評価も高かった。
それが一転したのは2014年4月、セウォル号沈没事故からだ。この事故で大統領の対応不備や国家責任が追及されるなど、翌月には大統領支持率は40%台に急落する。朴槿惠政権崩壊の下地はこの時からできていたと言ってよい。
順調だったはずの南北関係も2016年になり、北朝鮮が1月に水爆実験とみられる4度目の核実験を強行。以後、毎月のようにミサイル発射を繰り返して風雲急を告げる。3月には立て続けに3発も乱射された。
北の暴走を止められない朴槿惠は、国民と野党からの突き上げを喰らっていた。韓国軍の高官らと連絡を取り合う防衛部門関係者によれば、実は渦中のこの時、朴はこれを止めさせるようホットラインを通じて北京の習近平に電話を入れたという。ところが電話を受けた習は、彼女の要請をあっさり無視した。
前年9月、北京の天安門広場で抗日戦争勝利70周年を祝う式典に招待されるなど、朴槿惠政権は韓中接近、中国の厚遇ぶりを誇っていた。経済的にもこの頃、韓国の対中輸出は全輸出の25%、GDPのおよそ10%を占めるまでに至り、韓国各地を訪れる中国人観光客の数もうなぎ登りの時期であったのに、だ。
蜜月と信じていた習近平に裏切られた朴槿惠の憤懣たるや、想像に難くない。
「中国は信用できない」
そう悟ったに違いない朴槿惠は、それまでの中国向き外交シフトを日米に向けて180度転換させた。ここが実は、彼女の転落の始まりだったのである。
2016年7月8日、韓国国防部と在韓米軍は、北のミサイル攻撃に備えたTHAAD(終末高高度防衛ミサイル)配備を正式に発表する。これに対し、北朝鮮以上に猛反発したのが中国だった。アメリカのミサイル防衛網が北を通り越して自国に向けられたと感じた中国は、まずは経済面からの制裁にかかる。
THAAD配備先としてゴルフ場を提供したロッテグループの中国にあるロッテマート74店舗が営業停止処分になり、団体旅行制限措置で韓国を訪れる中国人観光客は、翌年3月には40%も減少していた。さらに、現代や起亜などの自動車メーカーは中国での販売台数が激減し、一時は工場閉鎖に追い込まれた。
最初から仕組まれていた?
他にも、在中韓国人への暴力事件が続発し、韓国政府機関を狙った中国からのサイバーテロも急増する。片や北朝鮮も、8月にもミサイル実験を続行し、9月には5度目の核実験に及んだ。
結果、朴槿惠大統領の支持率は急落。9月最終日の世論調査では、就任以来最低の30%だった。そして、最後のとどめを刺したのが崔順実ゲート事件だった、というわけである。
10月24日、「韓国でもっとも影響力のある言論人」に12年連続で選出されたこともある人気キャスター孫石煕がアンカーを務めるJTBS有線テレビの報道番組「JTBSニュースルーム」が、朴槿惠とその盟友・崔順実による機密漏洩と国政壟断事件をスクープした。
崔順実が使用していたというタブレットPCを入手した孫石煕らは、崔による大統領演説書き換え疑惑、朴・崔両名による資金横領疑惑、崔の娘の梨花女子大不正入学疑惑、出資強要疑惑……等々、数々の疑惑を暴露。以降、新聞、テレビ、雑誌、インターネットと、あらゆるメディアが報道合戦を繰り広げることになる。大統領による国政私物化に国民は激高し、国会は大混乱に陥った。
朴槿惠の支持率は17%台に急落、その週末の29日には最初のキャンドル集会がソウルで開かれた。前述の如くキャンドル集会の参加者は毎週膨れ上がり、ひと月後には200万人を超えた。そして大統領支持率はついに4%台という、韓国憲政史上最低の低率を叩き出すまでに至った。
しかし、まるで国中が集団催眠にかかったかに見えた、あの津波のような巨大キャンドルデモのさなかにも、そこに欺瞞の匂いを嗅ぎ取った慧眼の士たちがいた。朴槿惠大統領を弾劾、罷免にまで追い込んだこの崔順実ゲート事件が、最初から最後まで何者かによって仕組まれた作劇だったのではないかという疑惑は、複数のジャーナリストによって、直後から指摘されていたのだ。
ネットメディア「メディアウォッチ」の邊熙宰、黄意元、そして「月刊朝鮮」出身の禹鍾昌らである。
メディアウォッチは、朴・崔「国政壟断」容疑を裏付ける唯一の物証とされたタブレットPCが本当に崔順実の所有物だったのか、はたしてJTBCの孫石煕らは確実な裏付けを得たうえで放送に踏み切ったのかを徹底的に追及した。