もうひとつの三・一デモ
(写真撮影/筆者)
3月1日、韓国では毎年恒例の三一節(1919年3月1日、日本の植民地支配に抵抗して朝鮮全域で発生した大規模独立運動の記念日)だが、今年は特に百周年記念ということで大々的な式典が催された。これに併せて日本でも各地でさまざまなイベントが催行されたのだが、異色だったのは東京駅周辺をおよそ1時間にわたって練り歩いた「三・一アジアの自由と平和を守る行進」だった。
韓国側の主張に迎合して「暗黒の日帝支配下植民地時代」や「いまなお続く差別やヘイトスピーチ問題」を喧しく言い立てる反日集会が連日のように開催されていたなか、三・一当日に開催されたこのデモ行進では、集まったおよそ200人が太極旗と星条旗、そして日章旗を翻し、
「金正恩、北朝鮮は拉致被害者全員を返せ」
「自由を愛する韓国国民よ立ち上がれ」
「日米韓が結束してアジアの自由民主主義を守ろう」
「中国共産党全体主義は日本から出ていけ」
……等々、日韓、そして日米韓の結束を訴えるとともに、中朝共産全体主義を排斥するシュプレヒコールを勇ましく叫んでいた。
当日は平日の午後、告知はSNSで呼びかけただけだったにもかかわらず、北海道から九州、そして韓国からも志願者が結集して日韓の連帯、そして日米韓同盟の強化を訴えたのだった。
慰安婦問題を筆頭懸案としてもともと良好とは言えなかった日韓関係だったが、昨年末の韓国最高裁によるあまりにも理不尽な「徴用工判決」、自衛隊機レーダー照射事件、今年に入ってからは韓国国会議長の天皇謝罪要求発言などで、日本人、とりわけ保守層の反韓感情が頂点に達しようとしているさなかであった。
ロウソクデモの火付け役
その保守陣営のなかから、このように冷静かつ現実的な運動が自然発生的に沸き起こってきたのは、まことによろこばしいことと言える。日韓分断、そして日米韓分断こそが現在の暴慢韓国を狂わせ、傍若無人に振る舞わせている北のレッドコリア、そしてその後ろで糸を引くレッドチャイナの外交・軍事戦略の既定路線であり、基底路線だからだ。
つまり、日韓外交の転換点ともなり得る可能性を秘めた意義深い街宣行動であったのだが、これを報じたメディアは在日韓国人系の統一日報のみ。この重要性に、日本のマスコミは誰も気づかなかったようだ。
一部の保守論者たちの言うように、サムスンを締め上げて韓国が音を上げれば、たしかに多くの日本人はザマミロと溜飲を下げるだろうが、結果、韓国が中朝赤色連合にみ込まれて対馬海峡の向こう側まで真っ赤っ赤に染まってしまったら、どうするのか。地政学的見地から考えれば、とてもではないが「いい気味だ」などと笑っていられる場合ではない。
朴槿惠前大統領の罷免を受けて文在寅が第19代韓国大統領に就任したのは、2017年5月。いまさら繰り返すまでもないが、その朴槿惠を退陣に追い込んだのが前年秋から始まった空前絶後の街宣運動、キャンドル市民革命とも呼ばれたロウソクデモだった。
2016年10月29日にソウルで最初のキャンドル集会が開催されて以来、市民の群れは瞬く間に膨れ上がり、12月初旬の最高潮時には、ソウル市だけで200万人を超えた。主催の「朴槿惠退陣緊急国民行動」には全国70都市から2300を超す市民団体が参加し、20週にもわたった期間中、全国各地で累計では約1600万人が街頭に出たという(主催者側発表)。
まるで100年前の三・一独立運動が現代に蘇ったかのようなあの巨大デモの引き金を引いたのは、一体誰だったのか。契機になったのは、朴槿惠がその地位を利用して旧友の実業家に国政介入を許し便宜供与を図ったという、いわゆる崔順実ゲート事件だったということになっているが、実はそうではない。本当のターニングポイントはその100日以上前、2016年の6~7月にあった。