女装を楽しむ男性として生きてきた……
トランスジェンダーの美月氏は既婚者で、別れた妻との間に実子もいる。自らをトランスジェンダーと認めるまでに時間がかかった。その結果、その当時のパートナーには辛い思いをさせたと憂う。
彼(彼女)は米国で生まれたクォーターで家族もみな米国のキリスト教で一番数が多い主流派のプロテスタントだった。宗教上、同性愛者等に対しては強い反発がある家柄だった。
小さいころに誕生日やクリスマスに両親から自動車のオモチャやスポーツ用品等の男の子用のおもちゃをもらうことが多かったが、そのプレゼントにフリルのついたドレスがほしいと思うことがあった。しかし、その妄想は両親には言い出せないものだった。
年齢とともに自分の股間にある男性のシンボルがいつか消えてなくならないものかと期待していたが、そんな奇跡は起きない。彼(彼女)の違和感が思春期を迎えてさらに大きくなり、両親に隠れて女装をしたり、メイクをしたりするような秘密をもった。
最初は女装癖をフェティシズムによるものかと考えていた。だから、誰にも言い出せず、密かに女装を楽しむ男性として生きてきたのだと言う。
米国在住の時に、ROTC(Reserve Officers' Training Corps)のシステムを使ってアメリカ海兵隊の将校を養成する奨学金のようなプログラムで大学に進むことを希望していた。米海兵隊の中佐だった祖父に憧れて、米軍の士官となることを夢見たが、母が米軍への入隊は危険だと言った。
彼(彼女)の祖父は戦場で攻撃機のパイロットとして戦死。軍人は危険だ、日本のほうが安全だという母の勧めもあり日本に帰国した。
公務員をやめた時に当時の妻に告白
若いころの彼は、クォーターでもあり、背が高く端正な顔立ちだった。女性の心がわかるきめ細やかな心遣いのできる男性として彼(彼女)は女性に人気があった。心が女性であったのだから、女性の心が手に取るようにわかるのは、いまとなれば当然のことだった。女装に憧れる部分を封印して、このころ彼は結婚に踏み切り、子供も授かった。
しかし、どうしようもない自己の男性への違和感……。女性になりたい。女性として生きたいという気持ちが募った。国家公務員のうちはそれを言い出せず、公務員をやめた時に当時の妻に告白した。40歳を超えてからの告白だった。
「これだけ男らしい趣味や性格で、身体もがっちりして背も高くて男らしい人が……性同一性障害だなんて? 嘘でしょう?」と妻は絶句した。結果として離婚することになった。
自己の性に違和感を持っていても、それを自覚して性転換手術をするのは圧倒的に男性が多い。生活力がなければ性転換後の自分の経済力に自信が持てないことや、すでに結婚してパートナーがいる場合はその関係性を壊すことに躊躇する。
彼(彼女)の場合も結婚後に明確に自分の女装癖はフェティシズムなどではなく、本当は女性なのだと自覚するのに時間がかかったのだ。
女性として生まれたトランスジェンダーは、これまでの生活環境やパートナーにそのことを告げることがさらに難しい。性自認を肯定すれば、これまでの生活やパートナーとの関係も解消されてしまうかもしれない。その覚悟とそれを支える自己の経済力が必要だ。
だから、トランスジェンダーで性転換手術をする人は元男性が多くなるのだと美月氏は言う。