まず、「Racism in Japan(日本では人種差別がありますか?)」という動画だ。デザキ氏は以前、沖縄の糸満高校に赴任して英語を教えたことがあるようだ。この動画は、その時の体験をもとに作成されている。デザキ氏が日本語で生徒たちに語りかける。
「日本にも人種差別があると思う人は手を上げて!」
どのクラスでも数人しか手を挙げない。デザキ氏はこれを不満に感じて、カメラに英語で語りかける。
「私は、アメリカにもひどい差別があることを知っています。アメリカのほうがましだと言いたいわけではありません」
「でも、日本にも人種差別が存在します。日本には江戸時代、部落民という最下層の民が存在していましが、いまでも部落出身者は差別されています。日本語にはバカチョンカメラという言葉があって、これは朝鮮人を侮蔑する意味です。さらに、同じ日本人同士でも、沖縄県人は差別されて、戦争のときは日本軍によって弾除けにされました。そしていまでも、本土で部屋を借りることもできないのです」
もう一本の動画のタイトルは「Shit Japanese Girls Say」。日本語タイトルは「日本の女の子がよく言うこと」となっているが、直訳すれば「日本人女性が言う糞(たわごと)」(https://youtu.be/CGdWhnTYukM)である。
なんとこの動画には、髭を生やしたまま女装をしたデザキ氏が登場する。カツラをかぶり、可愛い子ぶったいまどきの日本人女性が口にしそうなお決まりのフレーズを、くねくねとポーズを取りながらしゃべり続ける。
「バナナダイエットで5キロせたって!」
「ねえねえ、誰にメールしてるの?」
「これ、バーゲンで買った」
「うざ!」
「超がつかない?」
「えーっ、B型あ?」
「最近、いい出会いないなあ」
「やめて、恥ずかしい!」
「こうやって揉んだら大きくなるって!」
「韓国行こう!最近、韓国語勉強してるよ!カムサムニダー!」
これが延々と続き、どういうオチになるのかなと思っていたら、突然終わって The End の文字。と、次の瞬間、髪を金髪に染めて三つ編みにしたような男がアップで登場し、海に向かって叫ぶ。
「あー、ちんちん欲しいなあ!」
彼は、この動画でいったい何が言いたかったのだろうか?タイトルに Shit とあるように、基本的には日本人女性を嘲笑している。外国人向けに発信していて、なんと68万回も再生されている。
そんな彼が製作した『主戦場』とはどんな映画であっただろうか?
「ハロー、フォークス!(やあ、みんな!)」
映画は、テキサス親父ことトニー・マラーノ氏と事務局の藤木俊一氏、「論破プロジェクト」主催の藤井実彦氏の三人が、慰安婦像が鎮座するカリフォルニア州グレンデール市の公園を訪れるシーンで始まる。「テキサス親父」の動画をそのまま流している。デザキ氏のナレーションが入るのだが、彼が冒頭に「テキサス親父」を取り上げた理由は、どうやらマラーノ氏が自身の動画でデザキ氏を取り上げたことがあるかららしい。
なぜ西岡力氏に聞かないか
ここから、様々な人が入れ代わり立ち代わり登場し、異なる意見をぶつけ合っていく展開となる。デザキ氏がいうところの「驚くほどスリリングな」展開になるはずなのだが、私は早々に強い違和感を覚えざるを得なかった。それは次の2点だ。
まず、中立な立場から問題の本質を探ると言いながら、慰安婦性奴隷説反対派を頭から「歴史修正主義者」(revisionist)」 「否定論者(denialist)」と決めつけてレッテル貼りをしている。これでは、自ら性奴隷説推進派の視点に立って映画を作っていることを宣言しているようなものだ。反対派の立場から取材に協力した人々に失礼だ。これではデザキ氏のメールは完全に嘘で、利用するために騙したことになる。
次に、出演者に偏りがあることだ。反対派における慰安婦問題の第一人者である秦郁彦氏と西岡力氏が登場しない。秦氏の名前は出てくるから、デザキ氏が秦氏を認識していたことは明らかだか、西岡氏にいたっては名前すら出てこない。これは根本的な問題である。
映画は、専門家ではない反対派の人々の意見に、推進派の学者(専門家)が反駁する形で進行する。吉見義明氏や林博史氏を出すなら、対で秦郁彦氏、西岡力氏を出演させ、専門家同士の議論でなくてはフェアな議論とはいえない。
この点については、4月4日に外国人特派員協会で開かれた試写会と記者会見の席で直接デザキ氏に質問、デザキ氏の答えは次のようなものであった。
「秦先生にはインタビューしたかったが、連絡すると奥さんに夜電話してくれと言われた。アメリカ人の習慣としては夜電話するのは気が引けたので、翌朝電話したら怒られて取材を断られた。西岡先生に関しては、ネット上の言説を見た限り、他の人々の主張と大差ないのでコンタクトしなかった」
この時点で、60点ぐらい減点しなくてはならない。研究者同士の議論がなくては、攻守の交代がない野球を見ているようなものだ。ほとんどの反対派の人は西岡氏の著作から学んでいるのだから、言説が似ているのは当たり前なのである。しかし、25年以上も研究してきた専門家の知識は深みが全く違うのだ。