1924年はじめから、コミンテルンの斡旋下で多くの中共幹部が共産党員のまま国民党に入党し、国民党組織の要職を占める。たとえば、中共幹部の譚平山は国民党中央組織部長に就き、国民党の組織を牛耳る。同じ中共幹部の林伯渠は国民党中央農民部部長に、もう一人、結党当時からの中共幹部で有名な毛沢東は、国民党中央宣伝部部長代行・部長を歴任した。
一方、中共は国民党が創建した国民革命軍への浸透を進めた。当時、孫文は軍幹部を養成する軍学校「黄埔軍官学校」を広州郊外に創設。かの有名な周恩来は、中共がこの黄埔軍官学校に送り込み、要職である政治部主任に就かせた人物である。この時、周恩来は、ソ連でスパイ訓練を受けて帰国したばかりだ。
以来、周恩来は政治部主任の立場を最大限利用し、共産党員を外部から招き入れて軍学校に潜入させたり、軍学校の教官と生徒を対象に共産党への入党を勧誘するなど浸透工作を着々と進めた。
その結果、軍学校の上層部には周恩来以外に共産党幹部の聶栄臻と葉剣英の両名が入り込み、第一期生から第四期生までの全校生徒にも「隠れ共産党員」が急増する。それらの生徒は卒業後、国民党軍の幹部となって国民党軍内の共産党勢力となった。
極悪政党の伝統
1927年、孫文亡きあとの国民党はやがて共産党の浸透工作に危機感を覚え共産党の排除を始めるが、それに対抗して中共は自前の軍隊を作り、蜂起を決意。同年8月1日、周恩来と国民党中央組織部長の譚平山が中心となって、国民党軍内に入り込んだ軍学校卒業生を糾合し、国民党軍の一部をそのまま乗っ取った形で国民党に対する武装蜂起を起こす。
この8月1日は共産党軍の建軍記念日にされているが、考えてみれば何のことはない。共産党軍の「建軍」は、国民党軍に対する乗っ取り工作の結果にすぎない。
こうして建軍した共産党軍は以来、反乱勢力として国民党政府軍と内戦を戦い、やがて政権奪取を果たすが、そのプロセスにおいて中共はまた、国民党政府軍の中枢部に対して日本人の想像を遥かに超えた浸透工作を展開し、共産党軍を内戦の勝利へと導く(この辺りの経緯は筆者の最新刊『中国共産党 暗黒の百年史』《小社刊》の第一章に詳述)。
敵対する勢力のなかに深く入り込んでその組織を乗っ取る手法は、まさに中国共産党結党以来の伝統であって、彼らの勢力拡大の一番の「秘密兵器」であることがよく分かる。そして、共産党政権はいまもこの「秘密兵器」を巧みに用いており、欧米や日本といった自由主義陣営の国々が彼らの浸透工作の主な標的となっている。日本で中国の人権侵害を非難する国会決議が潰された理由は、まさにここにあるのかもしれない。
中国共産党結党100周年に際し、われわれ日本国民全員が、中共という極悪政党の伝統的浸透工作の正体を正しく認識し、警戒を強めていかなければならないのである。(初出:月刊『Hanada』2021年9月号)
評論家。1962年、四川省生まれ。北京大学哲学部を卒業後、四川大学哲学部講師を経て、88年に来日。95年、神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了。2002年『なぜ中国人は日本人を憎むのか』(PHP研究所)刊行以来、日中・中国問題を中心とした評論活動に入る。07年に日本国籍を取得。08年拓殖大学客員教授に就任。14年『なぜ中国から離れると日本はうまくいくのか』(PHP新書)で第23回山本七平賞を受賞。著書に『韓民族こそ歴史の加害者である』(飛鳥新社)など多数。