早々の白旗か? 「中国様に寄り添う」中谷元
折しもいま、岸田政権が鳴り物入りで任命した「国際人権担当補佐官」の中谷元氏が、中国等の人権弾圧に対する「制裁法には慎重」な構えだと報じられている。
産経新聞の記事によると、中谷氏は「一方的に価値観を押し付けて制裁するやり方も一つだが、寄り添って問題を解決する役割を日本は期待されている。紛争を助長したり、事を荒立てたりするのがすべてではない」と述べたそうだ。
結局、いままでどおりの「中国様に寄り添う対応」ということである。
総選挙前には、中谷氏は「人権外交を超党派で考える議員連盟」の共同代表として、日本版マグニツキー法(人権侵害への制裁法)の制定を訴えていたと記憶しているが、あれは単なる「やってます」ポーズだったのだろうか。
立場が変われば、威勢のいいことは言いにくいのかもしれないが、私が理解できないのは、なぜ就任早々、自身の限界をわざわざ表明するのか、ということだ。この表明ははたして、日本国民に対するものか、それとも北京に対する「ご安心あれ」のご挨拶なのか。
中谷補佐官には、ぜひとも『[新版]日本国紀〈下〉』の154ページからのくだりをお読みいただきたい。そこには、1919年、第一次世界大戦後の「パリ講和会議」において「国際連盟」の設立が話し合われた際、日本が「人種差別禁止」の規約を入れるよう主張した旨が書かれている。
欧米列強が世界中の有色人種の地を植民地としていた当時、これを主張することがどれほどの勇気と見識の要ることだったか。先人のこの振る舞いに比して、中谷補佐官の「早々の白旗」はあまりにも残念な所業ではないか。
この調子では、岸田政権での「人権外交」も「憲法改正」も期待できそうもない。しかし日本の政治家のグダグダとは関係なく、近い将来、わが国は存亡の危機に直面するだろう。その時、私たち国民が「日本という国をなぜ守らなければならないか」を考える――『日本国紀[新版]』がそのための良きテキストであらん、と願うばかりである。
(初出:月刊『Hanada』2022年1月号)