菅直人の自己愛と先輩面
菅氏の軽率な行動がなくても、その地位の重みを知っていてほしかったが、いま思い起こしてみても背筋が寒くなる話だ。そんな菅氏を支えなければならないポジションにいたことはお気の毒ではあったが、しっかり支え切れなかった意味では官房長官、官房副長官だった枝野、福山両氏の責任も免れない。
菅氏は9月6日、ツイッターに「菅(すが)総理の退任表明で自民党は総裁選一色。今後少なくとも1か月以上、この状態が続く。コロナ危機が続く中、自民党はこれで責任ある政権政党といえるのか。10年前の福島原発事故の危機の時、民主党政権は責任放棄はしなかった」と投稿。
わざわざ「すが」と括弧つきで読み仮名をつけているあたり、常日頃から紛らわしいとお思いなのだろう。
加えて「総理であった私は翌朝福島第一原発をヘリで訪れ、現地責任者の吉田所長から原発事故の状況を直接聞き、さらに津波の状況を視察した。それからの数か月間、民主党政権メンバーは文字通り寝る暇もなく震災と原発事故の対応にあたった」とも書き込み、胸を張るが、何をか言わんやだ。
一体、何のアピールのおつもりなのか。
東日本大震災、原発事故の話題を持ち出して、危機管理に関し、先輩面するのはやめてもらいたい。こんなことをこの時期にわざわざ書き込むのは自己満足でしかなく、違和感しか感じられない。
話を元に戻そう。枝野氏はオンライン配信で、「政権の準備は整っています。10年間準備をしてきた。準備と覚悟はできています」と語っており、やる気は満々のようだ。
ところで、鳩山由紀夫、菅直人、野田佳彦政権と続き、最後は小沢一郎衆院議員が自らのグループを引き連れて民主党は分裂。衆院選を経て、再び野に下ってから約10年も経過しているのかと思うと、実に感慨深い。
同時に、約10年経ってもなお、民主党のマイナスイメージは払拭されず、全く同じ主要メンバーを抱える立民の支持率が低迷し続けていることに、妙に納得してしまう。それほどまでに、民主党の政権運営は実に稚拙なものだった。逆にいえば、それほどまでに、民主の流れを事実上汲む立民の傷は深い。
メディアへの注文と愚痴
さて、枝野氏がやる気満々なのは結構なことだが、自民党総裁選の陰に埋没してしまい、党として存在感を発揮できずにいることに焦っているようだ。福山氏との対談のなかで、メディアに対し「自民党総裁選を報道する以上は、衆院選がその1カ月内外の間にあることが分かっているなかでは、野党の動きについても公平に扱っていただかないとメディアの責任を果たせない」と注文をつけている。
何をもって公平というかは種々見解があると思うが、一国の首相を選ぶことに直結する自民党総裁選のニュースバリューが極めて高いのは当然のことだ。
そういえば、民主党が政権を取る前、岡田克也元外相が代表を務めていた際、筆者は岡田代表番もしていたが、野党のニュースがあまり報じられないと愚痴っていたのを思い出す。ニュースの扱いに関し、編集権がどうのこうのと大上段に構えて言うつもりはないが、メディアに対しいちいち注文をつけてくるあたりは、何も体質は変わっていない。
これまで見てきたように、自民党総裁選に話題をもっていかれるのを食い止めようと、政権移行プログラム「政権発足後、初閣議で直ちに決定する事項」や感染拡大防止に関する緊急提言などを矢継ぎ早に発表するなど涙ぐましい努力を続けている立民だが、いずれにしても政権を獲得しなければ画に描いた餅だ。
衆院選で勝たなければ話にならない。その際、立民の強い味方になろうとしているのが共産党だ。近親憎悪なのか、はたまた「保守」を自任しているからなのか、あるいは共産党と敵対関係にある連合の顔色をうかがっているのか、枝野氏は共産と連携することを嫌っている。しかし、組織票はのどから手が出るほどほしいという思いも透けてみえる。
そんな微妙な関係の橋渡しをしたのが、安全保障関連法の廃止を求めるグループ「市民連合」だ。正式名称は「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」。
去る9月8日、立民、共産、社民、れいわ新選組の野党四党は、国会内で市民連合の仲介のもと政策協定を結んだ。共産との連携に慎重な、いやむしろ否定的な国民民主党は加わっておらず、今後も加わらないとみられる。野党4党の党首は、市民連合が用意した「共通政策の提言」に署名した。