国家百年の計を考える
この練度積み上げの途中段階で災害派遣等に出動した場合、その間に予定していた訓練は演習場等の混み具合もあり、思うようにはカバーできず、そのまま次の訓練段階に進まざるを得ない。
何ごとも実体験して初めて自信が持て、そのうえで後輩にも指導できるが、この「体得」すべき貴重な機会を逃すようなことが継続すれば、ボディーブローのように効いて部隊行動の練度が下がっていき、最悪の場合は任務達成が困難となる。
自衛隊は100年に1度の戦争も生起しないよう抑止力の向上に努めているが、抑止力は張り子の虎ではなく真に戦える対処力があって初めて成り立つ。その対処力の核心は、部隊の隊員の練度である。
練度は目に見えないため、隊員自身でも問題に気がつかない側面もある。現場の部隊は、頻発する豚コレラ、鳥インフルエンザ等の支援要請が自治体から発出されれば断ることはできず、派遣を優先してしまうのが実態だ。「練度が大事だから出動するな」とは誰も言えない。
農水省および各自治体に期待するのは、何とかして自治体の自助努力が進展できないものかという点だ。たとえば、地元消防団員の増員や殺処分作業に対する民間事業者の緊急的支援を獲得する施策、そしてやむを得ず自衛隊に要請する場合の作業内容の精査など、ぜひ検討が進むことを願う。
最後に、医療費の削減や小さな政府を目指した結果が今回の新型コロナ対応の問題点にがっていたとすれば、見直すことも必要であろう。
どちらも重要な施策であり、それ自体が問題であるとは思わない。本当の問題は、それらの施策が過度に進み、国の危機事態において真に必要な人・組織・体制やそれを機能させる法律を整備せず、また予算を充当してこなかったことにある。
平時は無駄のように思われることでも、国の存立、国民の命にかかわる根幹となる分野には重点投資すべきである。国家存立の足腰を地道に鍛え、いざという時に役に立つものに育んでおくべきである。まさに「国家百年の計」を忘れてはならない。
1957年生まれ。79年に防衛大学校卒業後、陸上自衛隊に入隊。戦車部隊勤務を経て、93年、米陸軍指揮幕僚大学へ留学。2010年、陸将、第7師団長。11年、統合幕僚副長。12年、北部方面総監。13年、第34代陸上幕僚長と歴任し、16年に退官。