感染症対策の構造的問題
その一方で、自衛隊は便利屋、何でも屋ではない。だからこそ、切り分けが重要である。豚コレラや鳥インフルエンザ対応はその例だと認識しているが、この点はのちほど述べることとし、先に国としての感染症対策のあり方について考えてみたい。
もちろん筆者は感染症の専門家ではないが、危機管理の観点から何らかの方向性が見出せればと思う。
病院等での「個人」に対するものを医療行為と定義される一方で、保健所を軸に疾病の予防、衛生の向上など地域住民全体の健康の保持増進を図るのが公衆衛生だ、と筆者は認識している。
この役割からすれば、保健所が地域社会における感染症対策の主な担い手であると思う。しかし保健所は平成9年頃以降、減らされ続けており、過去には800カ所を越えていたものが、いまでは半数近くの470カ所になっている(厚生労働省健康局健康課地域保健室調べ「保健所数の推移」令和3年4月1日現在)。
昨年、新型コロナ感染者の追跡調査において、保健所がパンク状態になっていたとの報道や、PCR検査が進まない状態も、この減少と関係しているのであろう。
この保健所削減の背景となったのは、平成6年の地域保健法の制定が影響している。
この法案は、市町村の役割を母子保健や老人保健および福祉といった住民の生活に根差したサービスに重点を置き、都道府県はエイズ対策や難病対策など高度で専門的な保健サービスを提供することを狙いとした。
その背景として、戦後の結核等の感染症対策などには成功したものの、その後の医療供給体制の整備、あるいは医療保険制度の充実により、人々の保健所に対する期待が大きく変わったにもかかわらず、素早く地域のニーズを捉えて対応できるような仕組みになっていないという問題点が指摘されていた。
この審議から、保健所の機能を住民の生活サービスへと重点的に変更し、感染症対策への備えは都道府県に委ねられた。
しかし、その都道府県が今回のコロナ感染対策において十分機能したかと言えば、答えは明らかであるし、国全体として統制できる枠組みについての検討がなされた形跡は見当たらない。
日本人の死因は、1950年頃は結核が第1位を占めていたが、ここ数十年は悪性新生物、心疾患、肺炎、脳血管疾患などが上位を占めている。このような変化が医療そして保健の分野でも変化をもたらし、また2002年のSARS(重症急性呼吸器症候群)、2015年のMERS(中東呼吸器症候群)の危機も対岸の火事として直視せず、結果として日本の公衆衛生体制や日本人の意識から、感染症に対する危機意識がすっぽりと抜け落ちていた。
災害は忘れた頃にやってくるというが、新型コロナ感染症は、忘れていたどころか、多くの日本人には意識すらしない状態で盲点を突かれた格好だった。
危機管理体制整備の要点
危機管理の鉄則は、最悪の状況を念頭に置きながら、そのリスクをどこまでコントロールするかである。今回のコロナ災禍を貴重な教訓として、より厳しい状況も想定し、そのための国の危機管理体制を整備することが重要である。
その一つ目が法体系だ。特に感染率・致死率の高い感染症発生時においては、いかに強力に統制するかが重要であり、有事に準じた強制力も必要となるだろう。今回、特別措置法により対処したものの、国民の行動規制はお願いベースが基本にならざるを得なかった。
真に国民の命と平和な暮らしを守るためには、時として強い統制が必要であり、現行の法体系では強制力が弱い。この観点から私権の制限についても議論が必要であり、そのためには憲法の緊急事態条項も含めた検討は避けられない。
二つ目には、100年に一度到来するかどうかの感染症有事に備え、国として戦略的・長期的視野に立ち、欠落機能がないよう必要な組織や枠組みの基礎を構築しておき、いざという時にその基礎を拡大して対処できるよう、足腰の強い体制作りに取り組む必要がある。
特に、ワクチン製造にかかわる開発・生産・承認体制は重要である。世界有数の創薬国と言われる日本が未だにワクチンの自国製造に消極的なのは、平成八年の裁判で厚生省の担当課長が罪に問われた後遺症が大きいのかもしれない。しかし何よりも、危機意識の欠如によって、国として地道に研究・開発を継続する体制を整備してこなかった結果であろう。