共産党は「五輪中止」を東京都議選の「重点公約」にもしてしまった。だが、当選した新都議たちの任期初日は五輪開会式と同日の7月23日だ。もともと不可能な「中止」を公約するなど、政治的な詐欺行為だ。
なぜ、共産党はそこまでして「五輪中止」に執着するのか? 政府を攻撃することで世論の注目と支持者の関心をつなぎ留め、党組織の弱体化を防ぎたいという願望が透けて見える。
コロナ禍での国民の不安や不満を利用し、公約詐欺や「五輪=戦争」という妄想を党勢拡大の手段としなければならないほど、共産党の党員は減り続けているのだ。
党員の減少は最近の出来事ではない。私が入党して以来、ずっと党員数は減り続けているというのが実感である。
激減する党員数
私は1985年、東京学芸大学に入学すると同時に民青同盟に加盟し、まもなく日本共産党に入党した。当時の学芸大学には約5,000人の学生が在籍していたが、そのなかで民青同盟員は100人以上の勢力を誇っていた。そのうち、学生党員は約半数としても50人以上いたと思われる。……といっても、それは私が入党する前年までの話である。
私と一緒に民青に加盟した学生は30人ほど、入党までした学生も10人はいたと記憶しているが、そうした同期の民青同盟員、共産党員のなかで卒業時まで民青や党に残っていたのは、私を含めて3人だけだった。
先輩党員からは、「3桁の同盟員と共産党員」の自慢話をよく聞かされたものだった。私は実際にはその「3桁」の勢力を目撃したことはないが、作り話と思ったことはなかった。なぜなら、大学1年のときから党が私に与えた任務は卒業した先輩同盟員・党員からカンパを集めることで、100人以上の氏名・連絡先が記載された名簿に片端から電話をかけ、手紙を送ることだったからだ。
夏休み、冬休みは、地方出身の“同志”たちはほとんど実家に帰省してしまい、東京出身の私一人だけが都内に残って夏期カンパや年末カンパを集める電話をかけた。電話した相手のなかには民放テレビ局の若手アナウンサーもいて、「あの人も共産党員なんだ」と誇らしくも思ったが、「もう党も民青もやめた。仕事に差し障るからもう電話しないでくれ」と厳しく叱責され、電話を切られることもあった。
他にも有名私立学校の教員、公務員、一流大企業の社員など、さまざまな先輩党員たちに電話をかけたが、実際にカンパを送金してくれたのは共産党の専従職員や党の地方議員になった人たちだけだった。ほとんどの学生党員は、卒業・就職と同時に党や民青と縁を切っていた。
私の共産党員としての30年は、そうした党員数が激減していく30年でもあった。志位委員長が言うような、たった「1年4カ月」だけの現象ではないのである。