悲劇の真相
最後に、この記事のヘッドラインにある「双葉病院で50人死亡」の件をファクトチェックしておこう。この件についての事実関係は森功氏の著作、『なぜ院長は「逃亡犯」にされたのか――見捨てられた原発直下「双葉病院」恐怖の7日間』(講談社)に詳しく書かれている。
まず、事実を確認しておくと、実際に双葉病院で亡くなった方は4人だ。それ以外の方は、搬送先で22人、さらに16日以降に24人が亡くなった。たしかに合計では50人亡くなっている。
しかし、小手川記者の言うように「自衛隊や警察が放射性物質に阻まれて救出活動ができず、約50人が衰弱して亡くなった」わけではない。多くが病院から救出されたが、その後に亡くなった。しかも、その死因は放射能によるものではない。亡くなった原因は、救助の初動の遅れとその後の過剰避難である。
そもそも、双葉病院は浜通り最大級の医療施設であり、介護施設も運営していた。被災した時点で双葉病院に338人、介護施設ドーヴィル双葉に98人の合計436人が入院、入所していたことが分かっている。
震災の翌日(3月12日)に、バス5台で双葉病院の入院患者209人と病院スタッフ64人が避難した。これが大問題だった。なぜなら、病院にはバスで避難することが困難な重症患者が129人も残されたからだ。双葉病院の重症患者129人とドーヴィル双葉に残った入所者98人を、次のバスが迎えに来るまで、残った鈴木院長と数名のスタッフが面倒を見ることになってしまったのだ。
最初の避難から2日経った3月14日、やっと次のバスが来た。このバスでドーヴィル双葉98人、双葉病院34人の合計132人が避難したが、それでもまだ95人が取り残される。そして悲劇が起こった。この混乱のなかで4名の患者が亡くなったのだ。
もちろん、その死因が放射能でないことは明らかだろう。129人の重症患者と98人の介護施設入所者を、数名のスタッフで約2日間もケアするのは不可能である。
その後、バスは毎日やってきて、15日に55人、16日に36人が搬送され避難は完了した。しかし前述のとおり、搬送先の病院で22人、16日以降に24人が死亡した。もちろん、この死因も放射能によるものではない。
事実関係が逆さま
しかも、この問題は小手川記者個人の問題に留まらない。朝日は双葉病院に関するミスリード記事を未だに読める状態で掲載し続けている。
〈福島第一原発の半径20キロ圏内にあり、避難指示を受けた双葉病院(福島県大熊町)から運ばれた患者が相次いで死亡した問題で、病院関係者が搬送時に付き添っていなかったことがわかった。福島県が17日に発表した。 県によると、同病院には338人が入院し、うち146人は寝たきりや病状が重い患者だった。14日午前11時すぎに同原発3号機が爆発したのに伴い、陸上自衛隊などは1415の両日に患者を3回に分けて救出した。 陸自が14日に救出した時は、病院には病院長のほか職員が数人いた。しかし避難所までは付き添わず、15日の午前と午後に計55人を搬送した際も病院関係者の付き添いはなかったという。県によると、移動時に患者の病状が確認できない状態で、搬送中や搬送後に計21人が亡くなったという。 県が15日深夜に病院長と連絡を取ったところ、「第一原発が爆発したので、川内村で自衛隊を待っていた」などと説明したという。県の担当者は「付き添うべきだった」と話している〉(患者避難、医師ら付き添わず 21人死亡の双葉病院)(http://www.asahi.com/special/10005/TKY201103170566.html)
事実関係が逆さまだ。病院関係者が避難先まで付き添ったために、残された患者と入所者約200人を数名のスタッフでケアせざるを得なくなって悲劇が起きた。後年、何度も検証され明らかになっている事実関係に基づき、なぜこの記事を訂正しないのか。これは悪意の問題というより、むしろ大手メディアとしての驕りではないだろうか。朝日新聞にとって、こんな小さな話はどうでもいいという感覚なのかもしれない。
さらに、この記事には興味深い点がある。 「14日午前11時すぎに同原発3号機が爆発したのに伴い、陸上自衛隊などは1415の両日に患者を3回に分けて救出した」としっかり書かれているが、この部分は冒頭紹介した小手川記者の「自衛隊や警察が放射性物質に阻まれて救出活動ができず」というツイートを完全否定している。
小手川記者は、最低限自社の記事すら調べずに記事を書いたのだろうか? そうでもない限り、こんな変なストーリーありきのツイートと記事は書けないのではないか。ますます疑惑が深まった。