そもそも、双葉病院は精神科の入院患者が多く、受け入れ先の確保が難しいことなど特殊要因もあった。混乱のなかで、自衛隊・警察等による救出活動はどの医療機関、福祉施設においても十分だと言える状況にはなかった。にもかかわらず、そういった状況判断に不可欠な基礎事実に全く触れないこの論理は、極めて一面的かつ事実誤認にもとづいた記述と言わざるをえない。
小手川記者は「約50人が衰弱して亡くなった」ことを「原発事故」という大きく曖昧な主語に委ねながら、誤った事実を提示している。しかし、「約50人が衰弱して亡くなった」のは、インフラが正常に使えなくなり人手も不足するなかで、重症者中心に体調が急激に悪化したことに加え、「原発事故後の混乱のなかでなされた過剰避難」が原因である。
とりわけ、3・11後の福島で過剰避難こそが最も人命を奪ったことは、10年経ったいま、むしろ明確になっている。たとえば、福島県では地震・津波で1600人ほどが亡くなった一方、避難の過程・長期化によって亡くなった「震災関連死」は2300人を越えている。
さらに言えば、その過剰避難を生み出した一因は、根拠も不明確なままに過剰に放射能忌避を煽り立てた朝日新聞を含むメディアの側にある。たとえば、『AERA』(朝日新聞出版) 2011年3月28日号『放射能がくる』などはその典型だろう。3月11日から二週間と経たないうちに、被災者が目にしたら当然恐怖心を感じ、避難等の行動をとるような情報を流していたのは明白だ。
原発事故後1カ月以上経ってから全村避難することになった飯舘村では、被曝のリスクより避難のリスクが高いと判断し、高齢者施設にいる住民を避難させず、実際に避難による死者を出さなかった。長時間の移動のストレスや、見知らぬ避難先での生活環境などがお年寄りの負担となり、リスクを高めることは明らかだ、と現場の介護従事者も指摘している(https://helpmanjapan.com/article/2679)。これが事実だ。
もちろん、これは小手川記者が入社する前の話であり、その責任を彼に押し付けるのはさすがに酷だと思う。しかし、小手川記者がもし「人殺し」を追及し糾弾したいのであれば、朝日新聞の先輩記者たちを取材したほうがいい。取材対象が完全に間違っている。
「防護服」で印象操作
次に、小手川記者が執筆し、ツイートで引用した2月17日付の朝日新聞記事「双葉病院、50人はなぜ死んだ 避難の惨劇と誤報の悲劇(Web版)」(https://www.asahi.com/articles/ASP2J01WMP2FUTIL00V.html)についてもファクトチェックしておこう。
まず、この記事の冒頭で公開されている1分28秒の動画「取材の前に防護服を身にまとう」についてだ。この動画は「事実と違った印象を与える」という点で、ファクトチェック的にはアウトである。そもそも、帰還困難区域に入るのに防護服を着る義務はないし、現在ではよほど粉塵が舞うような作業をする人でも防護服を着ることはなくなってきている。一つエビデンスを挙げておこう。この資料はインターネット上で公開されているものだ。 〈令和元年9月5日改訂版 原子力被災者生活支援チーム 「避難指示区域内における活動について」 (https://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/kinkyu/hinanshiji/pdf/190905_katudounituite3.pdf)〉
このなかに、「一時立入りを実施する場合には、スクリーニングを確実に実施し、個人線量管理や長袖・長ズボン又は防護服などの必要な防護装備を着用することが求められます」という記述がある。つまり、長袖・長ズボンなら、それで問題ない。実際、農地の管理で立ち入って泥などが付着する作業をするような人でも、放射性物質のリスクは低くなっていることを知っているから、いちいち「防護服を身にまとう」ことはしない。
さらに、ここで小手川記者が着ている「防護服」は一般に流通するものとは違った見慣れないもので、防護服として機能するものかもよくわからない。
あたかも、帰還困難区域に入る人間が全員「防護服」を着るべき状況があるかのように印象操作するために、小手川記者は不必要な防護服で「コスプレ」をしていたと批判されても仕方ないだろう。
小手川記者はまだ「放射能が残っている」ことをアピールしたかったのかもしれないが、それは印象操作という手法であり、ジャーナリストとしては禁じ手だ。入社時の研修で、職業倫理についてのレクチャーはあったのだろうか? 経営の悪化で新人教育が切り捨てられていたとしたら大問題である。
「人の気配はない」と書きたいがために日曜日を狙って取材?
次に、記事の冒頭からして事実に反する点を指摘しておこう。前掲記事にはこのように書かれている。
〈静まりかえった雑木林の先にタイル張り6階建ての建物が現れた。人の気配はない。聞こえるのは身に着けた防護服が擦れる音とマスク下の自分の息づかいだけだ〉
まず、小手川記者が取材した令和3年1月31日という日付がポイントだ。カレンダーで見ていただければわかるとおり、この日は日曜日だ。当たり前のことだが、土日は復興関係の工事等が大幅に減る。そんなことは地元では皆知っていることで、人の気配がなくなるのは当然だ。
むしろ、小手川記者は「人の気配はない」と書きたいがために日曜日を狙って取材に行ったのではないか? という疑惑が深まっている。 「モリカケ」問題などでも、朝日新聞のロジックによれば、疑惑は持たれた側が潔白を証明しなければならないそうだ。だとしたら、小手川記者はわざと日曜日に取材したわけではないことを丁寧に説明する責任があるだろう。それができないなら、小手川記者の記事は、背景の説明がないなかで、「絶対的に終わった土地」であるかのような印象を与える部分を恣意的に切り取った表現ということになる。
なお、事実を言うと、これまで避難指示が出された地域において、ピーク時には2万人規模が働いてきた経緯がある。それは主に除染事業によるものだが、それが落ち着いてきた現在も、家屋解体等の環境再生のための工事は続いているため、帰還困難区域だからといって人の気配がないということはない。
実際に私も昨年12月22日(火曜日)に現地を視察して回ったが、至る所で工事が行われていた。夕方5時ごろに早めの夕食をとるために居酒屋に立ち寄ったが、5時の開店前にはちょっとした行列ができるほど盛況で、その客のほとんどが作業服だった。おそらく復興関係の土木、建築関係の人だったと思われる。