このような自己勝手な世界観において「領土」と「国境」の概念はまず存在しない。すべての土地ははじめから中国皇帝の所有物であるから、それをあえて「領土」と呼ぶ必要もなく、「国境」を定める必要もない。世界全体はまさに、中国皇帝を中心にして無限に広がっていく一つの同心円である。
現代の国際感覚からすれば、このような世界観は嗤うべき「妄想」というしかないが、近代までの中国人は本気でそう信じていたし、その残滓たるものがいまでも、中国の指導者やエリートたちの意識の根底に根強く染み込んでいる。
それだからこそ、中国大陸で共産党政権が成立した早々、毛沢東らは直ちに解放軍の大軍を派遣して独立国家だったチベットやウイグル人の住む新疆地域を占領して無理やりに中国の一部にした。だからこそ、いまの共産党政権は、中国本土から数千キロも離れた南シナ海の地域で違法の「九段線」を勝手に設定して、そのなかの公海を自分たちものだと堂々と主張できたのである。
この考え方の延長線上では、日本の尖閣諸島や沖縄はもとより、日本列島そのものが中国の「王土」になっておかしくないと、多くの中国人が考えている。
恐るべき教化思想
中華思想のもう一つの側面は、すなわち「教化思想」である。中華思想からすれば、中国の文明はこの世界の最高にして唯一の文明であり、中国の皇帝と王朝がこの最高にして唯一の文明の代表者であるから、未だに文明の洗礼を受けていない「化外の民=野蛮民族」をつかまえて、彼らを「教育」し「文明化」させていくのはまさに中国の王朝と皇帝の責務であって、それはすなわち「教化」だというのだ。
中国人からすれば、中華文明からの「教化」を受けることは受ける側の幸せとなるから、「野蛮民族」はむしろ喜んで「教化」を受けなければならない。つまり、中国の王朝と皇帝が「野蛮民族」を「教化」するというのは彼らに恩恵を与えることになるから、それらの「化外の民」から感謝されることはあっても文句を言われる筋合いはないと考える。「文化のない民」はおとなしく無条件に、中華文明の「教化」を受ければそれで良いとなる。