韓国初のセクハラ裁判で被害者弁護人を務めた男
朴市長は1993年、韓国で最初のセクハラ裁判で被害者弁護人を務めた。ソウル大学教授による助教へのセクハラ事件で、5年かけて98年に勝訴した。この勝訴により、朴市長は女性の人権擁護団体から「今年の女性運動賞」を受けたが、その賞金を韓国女性団体連合に寄付した。
朴市長が、弁護士として告訴状の最後に「子供が石をカエルに投げつけたとき、子供には何気ない行動でも、カエルの立場からすると取り返しのつかない被害を受ける」と書いたことは有名だ。朴市長は、セクハラ事件では被害者の立場に立って考えよと主張し続けてきた。
慰安婦問題でも元慰安婦の立場に立て、と激しく日本を攻撃。2000年に東京で開催された国際的茶番劇「女性国際戦犯法廷」なる行事で北朝鮮代表と一緒に「検事役」を務め、「韓半島は10万名以上が軍隊慰安婦として動員された最大の被害者」だったと主張して、昭和天皇に有罪判決を下すパフォーマンスの一翼を担った。
ソウル市長就任後もその姿勢は変わらなかった。2017年1月、「ソウル市、女性リーダーとともにする新年会」で「女性らしさは元淳らしさだ。世の中を変える力になる」として親女性型のリーダーになると約束し、「(ソウル市予算)1兆ウォンを投入して32万の女性の働き場所を作る」 「女性中心、労働者中心の世の中を作る。良い世の中とはもっとも苦痛を受けている人々が中心になる世の中」だと強調した。
被害者がセクハラを受け続けていた時期である2018年5月、ソウル市長選挙立候補にあたり、朴市長は「(性暴力は)予防することが重要だ。事後には回復できない被害が発生するためだ」として「被害者中心主義」を強調していた。
まさに偽善者そのものではないか。
「清貧」の裏に隠された本性
朴市長はまた、80年代に左派運動の理論的基盤を作るために、戦前の朝鮮共産党の大幹部で、北朝鮮建国後、金日成につぐ二番手になり、朝鮮戦争後粛清された朴憲永の息子などとともに在野左派学者らを網羅した「歴史問題研究所」を作って、初代理事長になった。
そこで、反日を媒介にした反韓自虐史観、親北民族史観の学者らを多数育て、その学者らが現在、学界の主流を形成し、歴史教科書を書いている。その後、「参与連帯」「美しい財団」などの左派市民運動組織を作って、大企業から多額の協賛金を集め、左派陣営を資金的に支えてきたゴッドファーザー的存在だった。
朴市長から資金をもらって育成された左派運動活動家は多い。ソウル市長になっても様々な委員会を作って、左派弁護士や活動家に資金を回してきた。また、民主労総や挺対協など過激な左派組織に補助金を出してきた。朴槿惠前大統領弾劾のデモでも、ソウル市が電源や会場掃除などで全面的にバックアップした。
朴市長本人は借家住まいで借金をしていると宣伝しており、そのような清貧な生活をしていることを人々に知らせて満足する自意識の強い左派活動家だった。