だから、セクハラで訴えられるというスキャンダルには、その強い自意識が耐えられなかったのだろう。 ソウル市は刑事告訴されている破廉恥犯罪の容疑者の葬儀を、「ソウル市葬」とした。被害者の感情を逆なでする「市葬」に対しては、50万以上の大統領府請願の反対署名が集まったが、ソウル市は「市葬」を強行。警察は、告発された当人が死亡したので捜査を終わらせたと発表した。
被害女性は、次のような絶叫に近いコメントを発表している。
「巨大な権力の前で、力のない弱い私自身を守るため、公正で平等な法の保護を受けたかったです。安全な法廷で、あの方(朴市長)に向かってこんなことをしないでと叫びたかったです。いやですと泣き叫びたかったです。許したかったです。法治国家の大韓民国で法の審判を受け、人間らしい謝罪を受けたかったです」
「人権派」という名の大悪人
忠清南道知事、釜山市長、ソウル市長の性暴力とセクハラ事件を概観したが、そこで分かるのは左派政治家のあまりにもひどい偽善者ぶりだ。なぜ、ここまで女性の人権を堂々と踏みにじることができるのか。
その背景には、自分たちの主張を絶対善として盲信し、それを実現する革命のためにはどのような手段を使っても正当化されるという、共産主義政治思想がある。特に、彼らが信奉している北朝鮮の主体思想では、首領を絶対視するから、首領である金正日や金正恩を性的に慰めることも革命家の務めとされ、「喜び組」が作られているのは関係者周知のことだ。
韓国の左派活動家の生態に詳しい金錫友元統一部次官が、次のような鋭い分析を行っている。
「1980年代の主体思想派の学生運動が、闘争のエネルギーを得る方法として『セックスサークル』に女性を引き込んだ痕跡がまだ濃く残っている。純真な入学したばかりの女子大生まで集団的性関係で縛り付けて闘争の同志にしていった過程が、韓国社会の性文化に及ぼした影響は多大だ。あたかも智異山パルチザンの時期に、女性隊員が男性戦士に性的慰安を提供したこととも似ている。革命のためには女性の性的自己決定権のようなものはあまり重要ではない、と見るのだ。 朴元淳の女性秘書セクハラ事件で分かるように、フェミニストの先駆者であり、巨人という人物がその高邁な外形とは矛盾する性的な逸脱に耽溺しても、学生運動時代のセックスサークル文化からすると特に問題はないと片付けたのだ。 被害者が数年間苦痛を訴えても、同僚や関係者たちは完全に無視した。7回も他部署への転出を訴えても聞き入れなかった。そこでは学生運動時代の性文化が強く作用したと見られる」(初出:月刊『Hanada』2020年10月号)