著者インタビュー|高樹のぶ子『小説伊勢物語 業平』

著者インタビュー|高樹のぶ子『小説伊勢物語 業平』

千年読み継がれてきた歌物語の沃野に分け入り、美麗な容貌と色好みで知られる在原業平の生涯を日本で初めて小説化。「古典との関わり方として、私は現代語訳ではなく小説化で人物を蘇らせたいと思ってきました」(「あとがき」より)という著者に業平の魅力などを語っていただきました!


──この場面も、雅な歌会の情景とともに高子の高貴さと女性としての覚悟のようなものを感じました。

高樹 彼女の思いが、のちに『古今和歌集』として結実したわけですから、本当に「大きな女」に成長した。皇后、皇太后としても「国母」ですが、日本文化の母でもあると言えるのではないかと考え、小説ではそこにスポットを当てました。

「あなたのおかげで歌人が育って、日本文化が大きく発展したんですね」という思いを込めて。

──もう一人、「女性の意志」を強く感じさせたのが、文徳天皇の娘の恬子内親王です。業平とは先ほども少し触れたように兄妹のような関係だったのですが、文のやり取りなどをし、お互いに気持ちがあった。しかし、彼女は未婚のまま「斎宮」として伊勢神宮に仕える身となります。

高樹 この時代の斎宮は生涯独身で、天皇が代替わりして次の斎王が指名されるまでは都に戻ることもなく、親の死に目にも会えないという厳しい境遇でした。神に嫁ぐようなところがあって、まさに人生を捧げなければならなかったんです。

斎宮として伊勢に派遣される内親王は、通常は天皇から「別れの御櫛」を授かるのですが、恬子はそれをもらえなかった。藤原家と、恬子の血筋である紀家の対立という政治的理由もあったのでしょうが、これに対し、業平は「恬子様は御櫛も賜らずに伊勢に行くことになってお可哀想だ」と心を痛めていたんですね。

──そして、業平が朝廷の「狩りの使い」として伊勢に赴いた際に、恬子に会います。小説では、さすがの業平も「斎宮をわがものにしてよいものか」とためらって最初の夜は手を出せなかった。しかし尾張の旅から戻ってきて、ようやく結ばれる。

高樹 「一夜限り」という恬子の意志ですよね。「御櫛も賜れないひどい扱いを受けたんだから、一度くらいは好きにしてもいいだろう」と開き直ったという解釈もできるかもしれませんが、「なんとかもう一夜」とすがる業平を遠ざける姿勢には潔さを感じます。

この時のことで、恬子は業平の子を妊娠し、出産。斎王が男性と共寝をしたうえに妊娠・出産までするというのは相当なことです。しかも、「流行り病で外に出られない」と世間にまでついて成し遂げるんですから。

当時は、いまよりずっと出産が命にかかわる大事業ですから、覚悟も相当なものですよね。彼女も運命を受け入れながらも、自分の意志も全うした強い女性です。

実は……牛車はとてもうるさい!

──のちに伊勢と名乗ることになる恬子の侍女・杉が、業平と恬子の間に生まれた子供を業平に見せに行く場面は、読んでいるこちらもこみ上げるものがありました。互いの乗る牛車同士を近づけて、そっと赤子の顔を覗き込み、業平はここでも涙に濡れる。

高樹 この場面はもちろん創作なのですが、恬子が業平の子供を産んだのは事実だったようです。わが子との対面は感動の場面なんですが、一つお話ししておくと、牛車というのはとてもうるさいそうなんです。

──そうなんですか! しずしずと近づいてきて、そっと御簾を上げて……という風景を思い浮かべていました。

高樹 私は皇太子時代の天皇陛下にお会いする機会があって、直接お話しさせていただいたこともあります。そうした時に、「今度、殿下のご先祖様のお話を書くんです」と申し上げた流れで、陛下が「私も牛車について研究しています」と仰られました。しかも本物の牛が引く牛車に乗る体験をされたというので、これはと思って乗り心地を伺うと、「音がとてもうるさかった」と仰られて。

京都御所のなかを移動されたようですが、かなり大きな車輪の要所要所に鉄が打ち込まれていて、舗装されていない砂利道のようなところを石を蹴散らしながら進むために、ものすごい音がするようです。その後、宮内庁経由で牛車の資料をたくさんいただきました(笑)。

──それはすごいお話ですね(笑)。話を戻すと、その後、伊勢は晩年の業平の側に仕えることになります。

高樹 伊勢は、この小説では非常に重要な役回りです。なぜ、業平の生涯と歌をつづったものが『伊勢物語』と名付けられたのか。実際には諸説ありますが、誰にも本当のことは分からない。

小説を書くにあたっては、業平ゆかりの地を取材したり、斎宮の研究者に話を聞くなどして、いろいろな説や言い伝えに触れました。それによると、伊勢という女性が業平の最後の妻だった、というのはどうやら事実らしい。

しかも恬子に仕えていた女性が、のちに業平の妻となったという説もあると聞いて、「その説、いただきます!」と(笑)。最後に業平の側にいた女性の名前が『伊勢物語』という題名の由来だった、として描きました。

小説で描いた伊勢は、他の女性に比べると少し現代的な感覚を持った女性です。恬子と業平の関係や、その間にある感情はもちろん知っている。若い頃には「私はどうですか」と業平に売り込むも、「君はまだ子供じゃないか」とあしらわれてしまう。業平は伊勢の才覚を認めてはいたんですけどね。

しかし、斎王の立場を降りて出家する恬子から「業平の妻になりなさい」と言われると、「こんな老人は嫌!」と断ってしまう。

幼女を見ても「いい女になりそうだ」と欲情する業平が、晩年、伊勢から「こんな老人は嫌です」と逆襲されることになるわけです(笑)。

──ここは思わず笑ってしまいましたが、性愛関係でない女性とのやり取りが、むしろ晩年の業平に深みを持たせている気がしました。最後に側にいた女性と、とても深い信頼関係で結ばれていたんだなと。

高樹 だからこそ、業平は自分の生涯の歌を預けたのだろうと思います。

最期に詠んだ歌は、「つひに行く道とはかねて聞きしかど 昨日今日とは思はざりしを」。「いつか死ぬものだとは知っていたけど、昨日今日とは思わなかったよなあ」と歌を詠んで業平はこの世を去った。

伊勢の側で、軽やかにこの世を離れていく姿が浮かびます。「この物語の主人公は幸福のうちに旅立った」と締めくくる物語を、伊勢に託したんですね。

小説伊勢物語 業平

貴種流離譚がわびさびに

関連する投稿


【読書亡羊】米国防次官が「クマよりドラゴンを警戒せよ」という理由  村野将『米中戦争を阻止せよ』(PHP新書)|梶原麻衣子

【読書亡羊】米国防次官が「クマよりドラゴンを警戒せよ」という理由 村野将『米中戦争を阻止せよ』(PHP新書)|梶原麻衣子

その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする時事書評!


【読書亡羊】悪用厳禁の書! あなたの怒りは「本物」か  ジュリアーノ・ダ・エンポリ著、林昌弘訳『ポピュリズムの仕掛け人』(白水社)|梶原麻衣子

【読書亡羊】悪用厳禁の書! あなたの怒りは「本物」か ジュリアーノ・ダ・エンポリ著、林昌弘訳『ポピュリズムの仕掛け人』(白水社)|梶原麻衣子

その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする時事書評!


【読書亡羊】陰謀論者に左右ナシ!  長迫 智子・小谷賢・大澤淳『SNS時代の戦略兵器 陰謀論』(ウェッジ)|梶原麻衣子

【読書亡羊】陰謀論者に左右ナシ! 長迫 智子・小谷賢・大澤淳『SNS時代の戦略兵器 陰謀論』(ウェッジ)|梶原麻衣子

その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする時事書評!


【読書亡羊』石破・トランプ会談を語るならこの本を読め!  山口航『日米首脳会談』(中公新書)

【読書亡羊』石破・トランプ会談を語るならこの本を読め! 山口航『日米首脳会談』(中公新書)

その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする時事書評!


【読書亡羊】戦後80年、「戦争観」の更新が必要だ  平野高志『キーウで見たロシア・ウクライナ戦争』(星海社新書)、仕事文脈編集部編『若者の戦争と政治』(タバブックス)

【読書亡羊】戦後80年、「戦争観」の更新が必要だ 平野高志『キーウで見たロシア・ウクライナ戦争』(星海社新書)、仕事文脈編集部編『若者の戦争と政治』(タバブックス)

その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする時事書評!


最新の投稿


【今週のサンモニ】コメの生産性向上と輸入自由化を目指せ|藤原かずえ

【今週のサンモニ】コメの生産性向上と輸入自由化を目指せ|藤原かずえ

『Hanada』プラス連載「今週もおかしな報道ばかりをしている『サンデーモーニング』を藤原かずえさんがデータとロジックで滅多斬り」、略して【今週のサンモニ】。


日本国は宗教に冷淡|上野景文(文明論考家)

日本国は宗教に冷淡|上野景文(文明論考家)

統一教会への解散命令で、政教分離のあり方に注目が集まっている。 日本の政教分離は、世界から見てどうなのか――。


From Hope to Hostility: Conservative Party of Japan Faces Growing Backlash|Jason Morgan and Kenji Yoshida

From Hope to Hostility: Conservative Party of Japan Faces Growing Backlash|Jason Morgan and Kenji Yoshida

Political conservatives in Japan have entered into a season of re-sorting.


【我慢の限界!】トラックの荷台で隊員を運ぶ、自衛隊の時代錯誤|小笠原理恵

【我慢の限界!】トラックの荷台で隊員を運ぶ、自衛隊の時代錯誤|小笠原理恵

米軍では最も高価で大切な装備は“軍人そのもの”だ。しかし、日本はどうであろうか。訓練や災害派遣で、自衛隊員たちは未だに荷物と一緒にトラックの荷台に乗せられている――。こんなことを一体、いつまで続けるつもりなのか。


【今週のサンモニ】「過激な平和主義者」の面目躍如、日本学術問題報道|藤原かずえ

【今週のサンモニ】「過激な平和主義者」の面目躍如、日本学術問題報道|藤原かずえ

『Hanada』プラス連載「今週もおかしな報道ばかりをしている『サンデーモーニング』を藤原かずえさんがデータとロジックで滅多斬り」、略して【今週のサンモニ】。