──この場面も、雅な歌会の情景とともに高子の高貴さと女性としての覚悟のようなものを感じました。
高樹 彼女の思いが、のちに『古今和歌集』として結実したわけですから、本当に「大きな女」に成長した。皇后、皇太后としても「国母」ですが、日本文化の母でもあると言えるのではないかと考え、小説ではそこにスポットを当てました。
「あなたのおかげで歌人が育って、日本文化が大きく発展したんですね」という思いを込めて。
──もう一人、「女性の意志」を強く感じさせたのが、文徳天皇の娘の恬子内親王です。業平とは先ほども少し触れたように兄妹のような関係だったのですが、文のやり取りなどをし、お互いに気持ちがあった。しかし、彼女は未婚のまま「斎宮」として伊勢神宮に仕える身となります。
高樹 この時代の斎宮は生涯独身で、天皇が代替わりして次の斎王が指名されるまでは都に戻ることもなく、親の死に目にも会えないという厳しい境遇でした。神に嫁ぐようなところがあって、まさに人生を捧げなければならなかったんです。
斎宮として伊勢に派遣される内親王は、通常は天皇から「別れの御櫛」を授かるのですが、恬子はそれをもらえなかった。藤原家と、恬子の血筋である紀家の対立という政治的理由もあったのでしょうが、これに対し、業平は「恬子様は御櫛も賜らずに伊勢に行くことになってお可哀想だ」と心を痛めていたんですね。
──そして、業平が朝廷の「狩りの使い」として伊勢に赴いた際に、恬子に会います。小説では、さすがの業平も「斎宮をわがものにしてよいものか」とためらって最初の夜は手を出せなかった。しかし尾張の旅から戻ってきて、ようやく結ばれる。
高樹 「一夜限り」という恬子の意志ですよね。「御櫛も賜れないひどい扱いを受けたんだから、一度くらいは好きにしてもいいだろう」と開き直ったという解釈もできるかもしれませんが、「なんとかもう一夜」とすがる業平を遠ざける姿勢には潔さを感じます。
この時のことで、恬子は業平の子を妊娠し、出産。斎王が男性と共寝をしたうえに妊娠・出産までするというのは相当なことです。しかも、「流行り病で外に出られない」と世間にまでついて成し遂げるんですから。
当時は、いまよりずっと出産が命にかかわる大事業ですから、覚悟も相当なものですよね。彼女も運命を受け入れながらも、自分の意志も全うした強い女性です。
実は……牛車はとてもうるさい!
──のちに伊勢と名乗ることになる恬子の侍女・杉が、業平と恬子の間に生まれた子供を業平に見せに行く場面は、読んでいるこちらもこみ上げるものがありました。互いの乗る牛車同士を近づけて、そっと赤子の顔を覗き込み、業平はここでも涙に濡れる。
高樹 この場面はもちろん創作なのですが、恬子が業平の子供を産んだのは事実だったようです。わが子との対面は感動の場面なんですが、一つお話ししておくと、牛車というのはとてもうるさいそうなんです。
──そうなんですか! しずしずと近づいてきて、そっと御簾を上げて……という風景を思い浮かべていました。
高樹 私は皇太子時代の天皇陛下にお会いする機会があって、直接お話しさせていただいたこともあります。そうした時に、「今度、殿下のご先祖様のお話を書くんです」と申し上げた流れで、陛下が「私も牛車について研究しています」と仰られました。しかも本物の牛が引く牛車に乗る体験をされたというので、これはと思って乗り心地を伺うと、「音がとてもうるさかった」と仰られて。
京都御所のなかを移動されたようですが、かなり大きな車輪の要所要所に鉄が打ち込まれていて、舗装されていない砂利道のようなところを石を蹴散らしながら進むために、ものすごい音がするようです。その後、宮内庁経由で牛車の資料をたくさんいただきました(笑)。
──それはすごいお話ですね(笑)。話を戻すと、その後、伊勢は晩年の業平の側に仕えることになります。
高樹 伊勢は、この小説では非常に重要な役回りです。なぜ、業平の生涯と歌をつづったものが『伊勢物語』と名付けられたのか。実際には諸説ありますが、誰にも本当のことは分からない。
小説を書くにあたっては、業平ゆかりの地を取材したり、斎宮の研究者に話を聞くなどして、いろいろな説や言い伝えに触れました。それによると、伊勢という女性が業平の最後の妻だった、というのはどうやら事実らしい。
しかも恬子に仕えていた女性が、のちに業平の妻となったという説もあると聞いて、「その説、いただきます!」と(笑)。最後に業平の側にいた女性の名前が『伊勢物語』という題名の由来だった、として描きました。
小説で描いた伊勢は、他の女性に比べると少し現代的な感覚を持った女性です。恬子と業平の関係や、その間にある感情はもちろん知っている。若い頃には「私はどうですか」と業平に売り込むも、「君はまだ子供じゃないか」とあしらわれてしまう。業平は伊勢の才覚を認めてはいたんですけどね。
しかし、斎王の立場を降りて出家する恬子から「業平の妻になりなさい」と言われると、「こんな老人は嫌!」と断ってしまう。
幼女を見ても「いい女になりそうだ」と欲情する業平が、晩年、伊勢から「こんな老人は嫌です」と逆襲されることになるわけです(笑)。
──ここは思わず笑ってしまいましたが、性愛関係でない女性とのやり取りが、むしろ晩年の業平に深みを持たせている気がしました。最後に側にいた女性と、とても深い信頼関係で結ばれていたんだなと。
高樹 だからこそ、業平は自分の生涯の歌を預けたのだろうと思います。
最期に詠んだ歌は、「つひに行く道とはかねて聞きしかど 昨日今日とは思はざりしを」。「いつか死ぬものだとは知っていたけど、昨日今日とは思わなかったよなあ」と歌を詠んで業平はこの世を去った。
伊勢の側で、軽やかにこの世を離れていく姿が浮かびます。「この物語の主人公は幸福のうちに旅立った」と締めくくる物語を、伊勢に託したんですね。