ここで問題なのは、表現の自由に対する不寛容などではなく、日本大使館が事前のデューデリを怠ったことなのだ。当然ながら、事前に主催者から趣旨説明を含めた申請がなされ、作家のリストも渡されたはずだ。
この時点で、「関連性が低いので承認しない」という結論を出しておくべきだったのだ。
11月7日の「Huffpost」(ハフポスト)の報道によれば、大使館員はオープニングセレモニーに参加していたという。その時点でも反応しなかったのは、事なかれ主義と批判されても弁明できない。
これは、NECやANAなどの日本企業にも当てはまる。自分たちが公認したり、スポンサーになったりする事業にどのような作品が出展されるのか、精査するのが当然だ。
ましてや、日本政府や自治体などの公的機関ならばなおさらだ。ロゴを貸すだけだから適当でいいということには、断じてならない。
自分たちが設定した承認要件を疎かにしてはならず、芸術作品と称するものにとやかく言って検閲よばわりされたくない、などと考えてはならない。そのために、承認要件は誰が見ても公正なものでなくてはならない。
そして、一旦要件を決めたら、厳格に履行されなくてはならない。原理原則を大事にして、プロセスで手を抜かないこと。これがこの問題の肝であり、私がデューデリの問題だと断言する所以である。
会田氏にもチンポムにも表現の自由はある。しかし、それを公認するか財政的支援をするかは全くの別問題だ。それを混同してはならない。
それにしても、極めて挑発的で攻撃的な作品を並べて多くの人を不愉快にしながら、批判に晒されると「表現の自由の抑圧」だなどと騒ぐのは、卑怯な手法だ。
日本エア野党の会 代表 山岡鉄秀
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著者略歴
情報戦略アナリスト。日本国際戦略研究所(DMMオンラインサロン)主宰者。公益財団法人モラロジー研究所研究員。1965年、東京都生まれ。中央大学卒業後、シドニー大学大学院、ニューサウスウェールズ大学大学院修士課程修了。22014年4月豪州ストラスフィールド市で中韓反日団体が仕掛ける慰安婦像公有地設置計画に遭遇。シドニーを中心とする在豪邦人の有志と共に反対活動を展開。オーストラリア人現地住民の協力を取りつけ、一致団結のワンチームにて2015年8月阻止に成功。現在は日本を拠点に言論活動中。著書に、国連の欺瞞と朝日の英字新聞など英語宣伝戦の陥穽を追及した『日本よ、もう謝るな!』(飛鳥新社)など。