少々長くなるが重要な指摘なので、一部を抜粋する。なお、意味が通るように( )内に言葉を補足した。
「(レッグ処分場の地下に)地下水路があるにもかかわらず、その破損に繋がるおそれのある場内の転圧行為について何ら指導を行っておらず、埋立容量増加や処分業の一部再開などの許可更新を続けていた」
「最終処分場の容量超過や地元からの(廃棄物の)飛散流出などの苦情があった時も、口頭指導や文書指導で済ませているなど、本来なら施設使用停止命令等によって根本的な修繕をさせるべき必要があった」
「市の権限行使の大きな問題点は、対象事案についてそのほとんどを口頭指導や文書指導といった『行政指導』の範囲で改善を要求している点が挙げられる」
「『行政指導』は、事業者に対して任意の改善を期待するものであり、初めて指導する場合や軽微な違反の場合には有効であるが、指導しても改善が見られず、同様の違反内容を繰り返しているような状況であれば、適切な時期に改善命令等の法的拘束力のある行政処分を行うべきであった」
そのうえで実施計画書は、当時の中村松山市長と松山市の対応を「適切な権限を適切な時期に行使したとは言い難い。したがって、市の権限行使の妥当性については不適当であったと認められる」と厳しく批判したのである。
なお、実施計画の「今後講じようとする措置等」の項目には「処分を行った者等及び排出事業者等への責任追及」 「費用求償」 「刑事告発」といった言葉が並び、ここからも問題の大きさ、根深さ、悪質さがうかがえる。
「自分は悪くない、悪いのは業者と市議」と居直る
先の松山市関係者が語る。
「松山市始まって以来、最大、最悪の大規模環境汚染対策事案でした。当然のことながら、現職の野志市長と中村前市長の責任問題に、松山市民と愛媛県民の関心が集まりました」
野志市長は元南海放送アナウンサー。中村氏の勧めで2010年に中村氏の後任として市長選に立候補し、知事に転身した中村氏とのダブル選挙で3回連続で当選した側近中の側近である。
その野志氏ですら、中村前市長の対応が不適切だったことを認める実施計画を提出せざるを得ず、しかもそれに環境大臣、つまり国も同意したのである。
中村氏が慌てたとしても無理はない。
中村氏が記者会見で「議員がうごめいていた」と発言したのは、実施計画発表の15日後だった。そのタイミングから、中村氏の思惑が透けて見える。
中村氏は議員のうごめきに言及したあと、「(市長時代の自分の対応には)法的には問題がなかった」と居直り、こう言い放った。 「事態を招いた、発生せしめた当事者、あるいは関係者をあぶり出すということは絶対に必要なことだと思います。そして、可能な限り、そこに求償を求めていく、警察、法廷、こうした場で徹底的に明らかにしていく必要があると思います」
自分は悪くない、悪いのは業者と市議なので、彼らの責任を追及すべきだというのである。
さらに13年11月、中村氏は追い打ちをかけるように「複数の市議が企業側に立って便宜を図るよう市に圧力をかけ続けた」と発言。「市議会の関与を明らかにしないと県費の負担は難しい」と言い、レッグ処理場の汚染対策費を県が負担しない可能性にまで言及した。
これに対し、松山市の廃棄物対策課は「市議の口利きや市職員がかかわったという事案は把握していないし、書類も残っていない」と中村氏の発言内容を否定。
突然示された”証拠”「関係部局が相談したメモが残っている」
すると中村氏は「うごめき」の証拠として、市長時代の市役所の「部下から上がっている文書がある」と言い出し、その後、「関係部局が相談したメモが残っている」と言い換えた。
同年12月、市議会と野志市長は中村氏にメモの開示を要求したが、中村氏は「関与した議員が名乗り出るべきだ」として拒否。
市議会からは、「知事は松山市長時代に自ら解決する立場にあった」「知事は問題を複雑化し、解決を遅らせている。堂々と知事自ら名前を出すべきだ」と批判が噴出した。
すると、年が改まった14年の元日、愛媛新聞が一面トップで、県会議員のK氏(紙面では実名)が松山市議在任中にレッグ関係者同席で市職員と話した、と大々的に報じたのだ。
それによると、K氏は市議在任中の09年に、レッグ担当者を同席させ市役所で担当職員と面会、またK氏の関連政治団体はレッグから12万円の献金を受けていたという。
K氏は同紙の取材に、レッグ関係者同席で職員と話したことを認めたが、圧力は否定。「(再開許可)基準に関する話をした。できることはできる、できないことはできないという内容だった」と証言している。
また、K氏は09年に市が処分場再開を許可したときの自分の心境についても説明。「職員から許可の説明を受けた際、不安を感じ、『大丈夫か』と訊いた」と同紙に語っている。早急な再開許可に、むしろ違和感を持ったということらしい。
のちに明らかになったところによると、K氏が同席したのは09年5月19日。レッグが業務廃止届を提出(4月14日)した約一カ月後のことだ。その後、5月31日にレッグが転圧を実施し、それを受けて中村市長が6月16日にレッグに業務再開許可を出している。
この記事で目を引くのは、同紙に掲載された中村知事のコメントだ。中村氏は「個別の名前のコメントは控える」としながら、「市は法律に基づき適正に対応した」と自らを正当化する一方、返す刀で「仮に業者を同席させ権限を持つ職員を呼べば、どんな言葉だろうが、圧力だ」とK氏を批判したのだ。
だが、少し考えれば分かることだが、産廃業者に対する許認可権や指導、処分の権限は最終的に松山市長にある。
中村氏の言う「市議のうごめき」がK氏を指しているのだとしても、市議にはレッグ再開許可について何の権限もないのだから、K氏の行動と再開許可とは何の関係もないはずだ。
百歩譲って、市議の圧力なるものが市政に影響を与えたとしよう。その場合、中村氏と「権限を持つ職員」は、市議の圧力に屈して再開許可を出したということになる。
ところが、中村氏は当時の市について「法律に基づき適正に対応した」と言っており、野志市長も14年1月14日の会見で「埋立再開許可は法に基づき適正に判断した。判断が甘くなったことはない」と否定しているのだ。
これでは、中村氏が何を言わんとしているのかさっぱり分からない。結局のところ、中村氏の主張は子供だましの論理のすり替えに過ぎないと言わざるを得ない。
地元政界関係者はこう語る。
「K氏は松山市長選に出馬して野志市長と争ったことがあり、反中村の急先鋒。愛媛新聞の記事は、中村氏自身がリークして書かせたのではないか。そう勘繰られても仕方がないだろう」