環境汚染被害を拡大させた張本人
中村氏はどうやって一匹目のドジョウを捕まえたのか。発端は2013年4月25日の知事記者会見だった。
「この案件には、議員さんがうごめいていたようなこともあったと記憶しています」
中村氏は唐突にそう切り出したのだ。
中村氏が言った「この案件」とは、愛媛県松山市にある産業廃棄物処理業者(株)レッグが引き起こした大規模な環境汚染問題と、その対策事案のこと。
この汚染対策事業費は約70億円。加計学園への愛媛県と今治市の補助金約93億円に匹敵する規模だ。汚染対策費はすべて税金。当然ながら、関係者の責任追及に地元の関心が集まった。
焦点は中村氏の責任問題だった。
というのも、中村氏は松山市長時代に、埋立超過違反などを繰り返す問題企業のレッグに対し、免許取り消しなどの必要な行政命令を出すのを怠ったばかりか、事業廃止を届け出たレッグに新たに事業再開許可を出して、環境汚染被害を拡大させた張本人だからだ。
レッグ処理場の周辺住民が語る。
「処理場に大量の廃棄物が山積みされ、あまりに量が多過ぎるので、中村市長当時の市役所に何度も“ストップさせてくれ”と頼みに行ったが、免許の取り消しなどの有効な対策を取ってくれなかった。カラスが群れて害虫が大量発生、廃棄物が風で飛んだりして、とくに夏は難儀しました。そうしているうちに水銀や汚染水が出て、大きな環境汚染問題になったのです」
この住民の指摘にある廃棄物の飛散と苦情申し立ては、08年4月のこと。また、水銀は10年8月に処理場の監視井戸から検出された。いずれも中村市長時代の出来事だ。
度重なる違反行為に対して行政命令を行わない
レッグ処理場を巡るトラブルは枚挙に遑がない。04年10月には、レッグ処理場の埋立超過が発覚し、市は口頭・文書指導を実施。このときを含め、中村市長時代に埋立超過等の違反─口頭・文書指導が実に13回も繰り返されている。ところが度重なる違反行為にもかかわらず、中村氏は免許取り消し等、法的強制力のある行政命令を一度も出さず、事態の抜本的解決を怠った。
06年度から始まった処理場の維持管理積立金制度に関しても、レッグの対応はひどかった。この制度は、処理場の埋立終了後も維持管理が続けられるよう産廃業者に維持管理費用を積み立てさせるもの。ところがレッグは資金難から06年以降、3年間も積立金を滞納した。
09年には、レッグ処理場に埋め立てできる容量が160立方メートルしか残っていないことが発覚。同年4月にレッグが市に業務廃止届を提出したにもかかわらず、わずか2カ月後に中村市長はレッグに業務再開許可を出した。「業務継続は不可能」と申し出たレッグに、なぜ業務再開許可を出したのか。
重機で廃棄物を圧縮し、地ならしする「転圧」という作業等によって埋立容量が確保できたというのがその理由だった。
ところが業務再開後の11年5月、今度はレッグ処理場から灰濁した汚染水が河川などに流出したのが確認された。 「原因は無理な転圧。それによって処理場の下の地下水路の遮蔽口が破損し、破損個所から汚染水が流出したのです」(ある松山市議)
この流出事故は、現在の野志克仁松山市長時代の出来事だが、転圧による再開を許可した中村前市長の対応に問題があったのは明らか。
流出事故を踏まえ、中村氏から問題を引き継いだ野志氏が行政命令を連発し、レッグの免許を取り消したのと対照的だ。
中村氏が「議員がうごめいていた」と言い出したのは、こうした中村氏の一連の対応の不備を松山市が13年4月に公式に認めたのがきっかけとみられる。
中村氏の会見の1カ月前の13年3月、松山市はレッグ問題処理を巡り、国から補助金を引き出すため、レッグ処理場汚染対策事業の「実施計画」を環境省に提出。環境大臣の同意を得た。これにより約70億円の汚染対策事業総額のうち、国が約32億円を補助することが決まり、地元の負担は約39億円(県約12億円、松山市約27億円)となった。
環境大臣の同意を得た松山市は、同年4月10日、実施計画を公表した。実施計画は全文73ページという長文。市の対応状況などが詳しく検証されていたが、そのなかでとくに注目を集めたのが「市の指導監督権限の行使の妥当性」という項目だった。そこでは、当時の中村市長の対応が厳しく批判されていたのだ。