カークと日本
カークは暗殺される前の週末、日本に来て講演をした。参政党主催のイベントである。私は参政党員でも参政党支持者でもないが、長年カークに注目してきたので、12,000円の参加費を払って会場で話を聴いた。カークは日本の印象について、バスの運転手も警察官も、みな自らの職務を忠実に遂行する人たちで感銘を受けたと語った。彼らは自分自身より大事な何かを想定し、「上」(above)から与えられる義務に忠実に生きているように見えると。
カークは敬虔なクリスチャンであり、西洋における「上」は神である。日本においてそれが何なのかは分からないが、自分より「上」の何かを想定し生きることは大事であるというのが彼の主張である。
カークは日本に西洋的な価値観を押しつけるという態度は全くなかった。それぞれの国には伝統があり、それを大事にして守るべきだと語った。グローバリズムはそれを壊すものであり、もし世界各国の固有の文化を壊して混ぜてしまえば、残るものはヘドロ(sludge)であるとも語った。参政党の神谷代表から、日本に対する助言を求められたときも「それは日本のことが分かっている日本人が考えるべきことだ」と返答している。
安倍元首相暗殺を喜んだ日本の大学教授
キリスト教文化圏でない日本における「上」は何か。それは「世間の目」、あるいは山本七平の言うところの「空気」である[9]。世間や空気は、平時においては常識に支配されている。その常識に従って人々が生きているうちは、日本人は正しく行動できる。それが日本人の犯罪率の低さや親切さに繋がっている。ところが、その世間や空気が間違った方向に行くと、全員が揃って恐ろしい行動に出る。前回解説したように、日本の生命科学者たちは新型コロナウイルスが人工であると気づいていても、全員が箝口令に従ってそれを公言しなかった。人命よりも学会の論理を優先するのである。特にエリートや専門家集団は、世間の目を騙すことができる。神を全く信じていない彼らは、人々を騙すことに躊躇はなく、良心の呵責に苦しむこともない。
米国の場合、共和党のエリートは神を意識して生きている。キリスト教の教義に従うので、中国のハニートラップにもかからない。安倍首相を除く日本の多くの政治家が、次々と外国のハニートラップやマネートラップにかかるのと対照的である。
日本の大学教授の中には、安倍元首相が暗殺された後、喜びを公言する人たちが相次いだ。しかし、彼らは大学から何の処分も受けていない。それは、大学が反安倍という「世間」を形成してしまっているからである。人の死を喜ぶことが絶対悪という価値観が日本にはない。もちろん、米国でもカークの暗殺を喜ぶ大学教授は多く出現した。米国の大学教授には無神論者が多いので、この反応は十分予想できたことだが、日本と違って彼らの多くは大学から処分されている。米国社会には、まだキリスト教の価値観が残っているのである。

