【猫は友だち・番外編】「上高地を守るひとびと」 |瀬戸内みなみ(ライター)

【猫は友だち・番外編】「上高地を守るひとびと」 |瀬戸内みなみ(ライター)

美しい大自然に出合える上高地。しかし、その自然は、地元の人々の絶え間ざる努力によって保たれていた――。


上高地の初夏を象徴する小梨(ズミ)の花

宿泊予定のホテルに向かって歩いている途中、道のまさに真ん中に、ちょっと緑がかった色の、こんもりとしたモノが落ちているのに気がついた。これは、もしや……。
 
見上げるとすぐそこの木の上で、サルがお食事中である。若くて柔らかい葉をむしっているのだろう。あくまで無心、こちらに注意を向ける素振りなど皆無だ。隣の木にも、もう一頭。
 
ここは山のなかではない。ホテルや飲食店が並び、ひとが一日中行き交う上高地の中心といっていい地域だ。なるほど、話に聞いたとおりである。

「開けたところに堂々とフンをするのは、まあ彼らのもともとの習性ですけどね」
 
ネイチャーガイドの山部茜さんが苦笑する。

「でもこの18年の間に明らかに、露骨なほど距離が縮まりました。以前はひとを見たら逃げていましたよ。サルもクマも、変わり続けています。もちろん人間も」
 
山部さんはプロの自然ガイド集団、「ネイチャーガイド・ファイブセンス」に所属するベテランガイドだ。観光客と散策路を歩きながら、目に映る景色、出会う植物や動物について解説する。18年前に初めて上高地に来て以来、この地に魅せられ、関わり続けてきた。

「以前は上高地でも、人間側がもっと無防備だったこともあったんです。たとえば河童橋近くの売店で、屋外で信州リンゴを水槽に浮かべて売っていたらサルに盗まれてしまった(笑)。環境省からも厳しく指導されて、即刻そんな販売方法はやめたそうですが」
 
これだけ多くのひとが訪れるのにも関わらず、上高地ではどこを見ても紙くずひとつ落ちていない。ところが古い資料を読んでいると、梓川の河畔も散策路も、さらには穂高の山中まで、空き缶や空き瓶などのゴミの山だらけだと憂慮する記述が次々に出てくる。

そのゴミ問題に対応しようとしたのが、昭和38年に結成された「上高地を美しくする会」だ。地道なゴミ収集活動やマナーの呼びかけなどが功を奏し、本当に上高地は美しくなった。会は平成から令和に至る現在も、活動を続けている。
 
マイカー規制もそうだ。いまの上高地は、自家用車での乗り入れは通年禁止されている。しかしそれ以前は、高度経済成長期のレジャーブームもあって車がわんさか押し寄せ、排気ガスや渋滞がとんでもなくひどかったそうだ。駐車場に入りきれない車はびっしり路上駐車をして、道路脇の高山植物が踏み荒らされる被害も相次いでいた。これではいけないと危機感が高まり、昭和50年に混雑期のみの規制、平成8年にいよいよ通年禁止となった。

「私たちも事業者ですから分かりますが、マイカー規制などして来訪者を制限するなんて、ホテルや飲食店などの施設にとっては苦渋の決断だったはず。それでも当時、上高地に関わるひとたちはそれを選んだということです。上高地を守るために」
 
現在、私たちが見ているいまの上高地の姿は当たり前のように思ってしまうが、その裏には上高地に関わるひとたちの、選択と決断の積み重ねがあったのだ。

「みなさんは、上高地はありのままの自然が残っていてすばらしい、と思っていらっしゃると思います。でも以前は、さっきのリンゴの話のように、事業者の意識もまだ甘いところがあったんですよ。ホテルの前にコスモス、ガーベラ、ルピナスといった華やかな花が植えられていたりしました。このあたりは高山植物の貴重な植生域ですから、外来植物の侵入には特に気をつけなくてはいけないのに。そうでなくても、外からの植物は種などの形でどんどん入ってきています。地域を見回って、そうした外来植物を除去する活動も10年ほど前から始まりました」
 
それは個人や単体組織でできることではない。国や自治体、上高地の施設関係者、専門知識を持つ研究者、そしてボランティアらが集まり、目的を共有して対策にあたっている。
 

人間のお行儀が良くなると、動物たちと近くなる

サルの追い払い活動もそのひとつだ。
 
電動エアガンやパチンコを使い、ひとの前に現れたサルを威嚇して追い払う。人間とは怖い存在なのだと学習させるためだ。同時に観光客に対し、サルに餌をやったり近づいたりしないようにという啓発活動を行う。

「上高地のサルのように、ひとのこんなに近くに存在し、受け入れられている状態は非常に特殊です。でもこのバランスはいつ崩れてしまうかわかりません。ひとと野生動物の間には、適正な距離というものがあります。私たちはうまく『棲み分け』をしていなかければ。この土地は誰のものでもない。共有していかなくてはならないんです。
この追い払いは、農地で作物被害を減らすためのものとは性質が異なります。サルの生態を守るためのものでもあるのです」
 
上高地のサルは学術的にもとても貴重な存在なのだという。そもそもサルの仲間の多くが熱帯地方に分布するなかで、冬になれば雪も降る日本にサルがいること自体が珍しいといわれる。なのに「北限のサル」とされる下北半島のサルよりも、もっと寒い地で暮らしているのだ。上高地の冬は零下20℃にもなる。
 
さらに近年、冬の上高地でサルが川魚を捕食する瞬間が初めて撮影され、世界を驚かせた。サル類が生魚を食べること自体極めてまれであるのに、ここでは極寒の川で魚をつかみ捕りして、頭から食べているなんて! 彼らは隔絶された場所で、生き延びるために独特の戦略を編み出してきたサルなのである。
 
上高地をめぐる環境やひとびとの意識は大きく変わった。その一方で、サル、クマなど動物たちとの距離も変化している。人間のお行儀が良くなると、動物たちと近くなるというのも、なんだか不思議な気持ちにもなるのだが。

毎日のようにあるクマ目撃情報

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