【猫は友だち・番外編】「上高地を守るひとびと」 |瀬戸内みなみ(ライター)

【猫は友だち・番外編】「上高地を守るひとびと」 |瀬戸内みなみ(ライター)

美しい大自然に出合える上高地。しかし、その自然は、地元の人々の絶え間ざる努力によって保たれていた――。


よく整備された上高地の散策路

張り出されているクマ目撃情報

上高地の散策路はおおむね平坦で、よく整備されている。河童橋から片道一時間ほどの距離なら、歩きやすい靴であれば気軽に歩いていけるのも魅力だ。水辺から湿原、森のなかまで変化に富んだ自然を楽しむことができる。
 
見どころのひとつ、岳沢湿原に向かってみる。しっとりとした木陰の小道に踏み込むと、最近のクマ目撃情報が張り出されていた。このごろではほとんど毎日のように報告されているらしい。
 
鬱蒼とした木立が開けると、木道が長く延びていた。「クマベル」の標識の横に、大きなベルがかかっている。この道を通る人はこれを鳴らして、近くにいるかもしれないクマに自分の存在を知らせるのだ。ここにいますよ、離れていましょうね、と。

カンとひとつ打って、あたりを見回す。以前はできるだけ自然に手を入れないようにと、遊歩道の脇に茂るままにしていたクマザサも、最近ではできるだけばっさりと刈るようにしているそうだ。野生動物とひととがよく認めあい、お互いに歓迎されない闖入者とならないように。
 
河童橋から岳沢湿原まで、徒歩で15分ほど。見た目は小さな池である。木道から続いてウッドデッキがしつらえられていて、訪問者はそこでゆっくりと、湿原に立つ木を眺めたり、水音を聞いたりすることができる。
 
首からネームプレートを下げた女性が大きなカメラ2台を駆使して、湿原の写真を撮っていた。脇には、風で飛ばないように重しで押さえているビニール袋。袋には「ゴミ持ち帰り運動」と印刷してある。
 

上高地という「ひとつの奇跡」

湿原を広く見てみようとデッキを歩いていくと、女性が振り返り、目を輝かせながらこういった。

「オシドリのペアがいますよ!」
 
パークボランティアの柳澤奈津美さんは、上高地のオシドリにぞっこんだ。オシドリを追いかけ、写真を撮り始めて20年。シーズン中はできるだけ毎週やってきて、カップル成立、子育て、巣立ちまでを見守ることを楽しみにしているのだという。

上高地好きが高じて、3年前にはパークボランティアに登録。オシドリ観察の傍ら、ゴミ拾いなどの美化運動、観光客にマナーを呼びかける啓発活動など、使命感を持って上高地にかかわっている。

「いま、オシドリをいちばんよく観察できるのはこの岳沢湿原なんですよ。ヒナが生まれると、世話をするのはお母さん。親子が一列になって行進しているところなんて、本当に可愛いんです。
以前は河童橋から逆方向へ行ったところにある大正池が、必ず見られる観察スポットだったんです。それが8年ほど前からぱたっといなくなってしまって……。原因はよくわかりませんが、ある年の台風で池の様子が変わり、バスツアーの団体客が来なくなったせいじゃないかと思うんです。
どうしてかって? 団体客は大抵、大正池のほとりでお弁当を食べていたんですよ。それでオシドリはそのおこぼれにありついていたらしいんです。
おかしかったのはね、私、見たことがあるんですよ。あるときお弁当を広げていた男性の後ろからオシドリが近づいて、おかずを盗もうとしたんです。それに気づいた男性がとっさに、オシドリの背中をギュッとつかんで持ち上げた(笑)。
そのくらいオシドリは、人間の食べものに慣れてしまっていたんです。数十年前は、マガモに餌付けをするひとたちが問題になっていたらしい。でもいまではそれは解決しています。私たちもそんなひとを見かけたら声をかけていますしね。
大正池でつかまれてしまったそのときのオシドリは目を白黒させてましたけど、すぐに放してもらって、男性も同行者と笑い合っていました。それにしても、オシドリはびっくりしたでしょうね」
 
また上高地に来てくださいね。すてきなものがたくさんあります。鳥も、花も……。
 
柳澤さんの声に見送られ、木道に戻って歩いていく。上高地は変わり続けている。環境も、自然とひととの関係も。ひとはそれを受け入れ、その時々にいちばん適う方法で、この上高地という場所と生きていこうとしている。いつまでも共に在るために。

「上高地は、誰かの私有地になったことはないんです。誰も、ここを我がものとしようとしたひとはいなかった」
 
と、山部さんが話していた。
 
隔絶され、ひっそりと山のなかに隠れていたこの小さな平坦地は、やがて松本藩の管理下に置かれ、のちに国有地、国立公園となった。ひとを拒絶するような顔でありながら、一方でその美しい姿を垣間見せてくれる道をつくることを許した。それは本当に、ひとつの奇跡だ。
 
私たちはそれを謙虚に、喜ばなくてはならないのだ。謙虚でいるためにはどうすればいいのかを模索し、美しい上高地を守る努力をしているひとたちに、感謝をしながら。
(上高地訪問:令和6年5月24日~27日)

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