2010年、日本から南モンゴルの活動家と日本人支援者が来訪し、モンゴル国における南モンゴルの活動家やモンゴル国民の支援者と会見したことは大きな転機となった。南モンゴルのモンゴル人を支援するデモ・集会がモンゴル国で行われなくなって10年余りが経っていたからである。会見の参加者らは、活動を盛り上げていくことで意見が一致した。
さらに南北モンゴルの同志たちは2011年1月はじめ、在モンゴル中華人民共和国大使館前、 スフバートル広場、学生広場でデモ・集会を行って以来、今日まで南モンゴルのモンゴル人のための闘い・活動をずっと続けてきた。
私たちはデモや集会、その他さまざまな活動を行った。記者会見や会議、インターネットを活用して南モンゴルについて紹介してきた。南モンゴルのモンゴル人について知ることで、彼らを嘲笑したり、差別したり、見下したりすることが減り、支援の輪が広がるなどの成果が表れた。私は、モンゴル国において南モンゴルのモンゴル人を支援する活動の中心人物の一人になっていた。
2020年には南モンゴルでモンゴル文字や文化への差別に抗議する大きな闘いが広がり、南モンゴルを支援する活動が世界中で盛り上がることにつながった。私も積極的に参加した。
「外国のスパイ」との濡れ衣
南モンゴルのモンゴル人が抑圧されればされるほど、私はいっそう奮い立った。この時に一人の外国人支援者が現れ、そのことで私自身が「外国のスパイ」と濡れ衣を着せられることになり、 高電圧の鉄条網の向こう側に閉じ込められることになったのである(注:駐モンゴル国インド大使館の外交官とムンヘバヤルとの間に交流があった。モンゴル国諜報庁は、証拠が無いにもかかわらず、そのインド大使館の外交官からムンヘバヤルが資金を受け取って、スパイ行為を行ったという一方的な犯罪容疑をでっちあげた)。
私が外国の情報機関と協力したという証拠は何もない。それどころか私は、モンゴル国の情報機関とも何ら接点をもたなかった。この種の機関の人間は、南モンゴルのモンゴル人を強制送還するのに長けているからである。人権活動に関わる私たちが南モンゴルのモンゴル人を擁護しようとすると、中央情報機関は「南モンゴルのその者は国家の安全保障に脅威を与えた。 これは極秘事項である」と言いくるめて、私たちの口をつぐませるのだった。もちろんそのような脅威がなかったことは私たちが明らかにしてきたのであるが。
ところがついに、私自身が情報機関の「国家の安全保障に脅威を与えた。これは極秘事項だ」という言説のスケープゴートとなってしまった……。