だが、それと同時に、習近平政権は、実は一つ意外な行動をとっている。それは、北京、上海、深圳などの大都会で、ゼロコロナ政策による厳しい規制や封鎖を部分的に緩和させたことである。
たとえば、北京市では12月に入ってから、陰性証明を持たずにスーパーマーケットで買い物ができるようになり、多くのコロナ検査所が撤去されている。地下鉄を利用する際の陰性証明の提示も、5日から不要となった。
広東省深市では、公共交通機関や公園を利用する際に提示を義務付けていたコロナ検査の陰性証明を不要にすると発表した。上海や成都などの都市でも、同様の規制緩和が実施された。
一連の抗議デモが発生するまで、あれほどの厳しいゼロコロナ政策を講じていた習近平政権が、一体なぜ「規制緩和」に踏み切ったのか。その意思決定の内情は依然として不明だが、抗議運動自体を正面から断罪したり、鎮圧を宣言しなかった当局の対応に照らし合わせてみると、習近平政権は全土に広がった抗議運動の勢いに大きな衝撃を受け、さらなる拡大を恐れて全面対決の姿勢を控えたものと考えられる。
それと同時に、政権は民衆の不平不満を和らげるためにコロナ規制の一部緩和を行った――それが意味するところはすなわち、あれほどの強権姿勢の習近平独裁政権も結局、立ち上がった民衆の力を恐れて不本意な敗退を余儀なくされた、ということである。
パンドラの箱を開けた
だが、習主席は独裁者として一つの致命的な失態を犯した。政権の看板政策であるゼロコロナ政策に対し、自ら主導権を発揮し、それを緩和もしくは変更するのではなく、民衆によって反対されたことの結果、あるいは民衆による抗議運動の結果として政策の緩和を行った。これは独裁者自身の権威性を大きく傷つけることとなる。と同時に、民衆側を大きく勇気づけ、自信を持たせることにもなる。
今後の中国では、政権の抑圧や失策に対し、一度、成功体験を味わった民衆が、我慢せずに抗議と反対の声を挙げるようなことが起きてくるであろう。
その意味で、民衆の抗議運動に対する習政権の部分的敗退はパンドラの箱を開け、民衆による反乱の時代が幕を開けるかもしれない。始まったばかりの習近平政権3期目は、多難と多乱の時代を迎える。