そこへ起きたのが、11月24日、新疆ウイグル自治区のウルムチ市内の高層マンションで起きた火災の大惨事である。ゼロコロナ政策でマンションに封じ込められたことで多数の住民が死亡し、3歳の幼児まで犠牲となった。この事件は全国民に大きな衝撃を与え、ゼロコロナ政策に対する反発に火をつけた。
翌25日夜、まずはウルムチの市民たちが行動を起こした。数万人の市民は市政府本部ビルを包囲して抗議活動を行い、一連の群衆的抗議運動の幕開けとなる。
翌26日、「火に油を注ぐ」出来事が起きる。その日の人民日報が一面トップで、「習近平主席はソロモン諸島の地震災害に対し、ソロモン総督に慰問電報を送る」と報じたのだ。
多数の国民が焼死したことには一言も発しない習主席が外国の地震災害(人的被害なし)に慰問電を打ったニュースは、一挙に国民の苦しみに無関心な暴君に対する反感、憤りに火をつけた。
こうして26日深夜から未明にかけ、上海市内の「烏魯木斉路=ウルムチ通り」に若者を中心に多くの市民が集まり、ウルムチ惨事の被害者を弔うと同時に抗議行動が始まり、「習近平退陣」 「共産党退陣」のスローガンが叫ばれたのだ。
27日午前、ウルムチ市政府は記者会見を開き、28日から段階的に市内の封鎖を解除、公共交通機関を再開させ、市民生活を通常に戻す方針を発表した。
「市民が抗議行動を起こせば政府が敗退する」という前例ができたことは多くの中国国民を鼓舞し、「反封じ込め」運動の広がりに拍車をかけた。27日から29日未明にかけ、北京、成都、西安、深圳など全国十数の都会と79の大学で抗議行動が行われるなど、抗議運動は国民的運動として広がっていく勢いとなったことは冒頭で述べたとおりだ。
このようにして、25日からの数日間、ウルムチ惨事の発生とウルムチ抗議行動の展開、火に油を注ぐ習近平「慰問電報事件」とウルムチ政府の敗退などが連続的に起きた結果、「天安門」以来の最大規模の群衆的反乱「白紙の乱」が勃発したのである。
異様ともいうべき「控え目」な対応
問題は、習近平政権がこの重大事態にどう対処するかである。
実は、政府当局とその傘下の御用メディアは、一連の抗議活動に対し、一切の公式的な反応を示していない(12月10日現在)。御用メディアが反体制の抗議運動を報じないのは中国では当然だが、当局が反応しないのは異例といえる。
通常なら、政権そのものに矛先を向ける抗議運動が発生すれば、政権側は必ずや激しい反応を示し、それを「反革命騒動」などと断罪したうえで高らかに鎮圧を宣言する。
新華社通信が11月29日に報じたところでは、中国警察・武装警察の総元締である共産党中央政法委員会トップの陳文清氏が28日、同委員会の全体会議を開いて「敵対勢力による浸透・破壊活動を徹底的に取り締まろう」と指示したという。
タイミング的に、これは過去数日間の群衆抗議運動に対し、「それを鎮圧せよ」との号砲が鳴らされたとも理解できようが、それでも政権は正面から全国の抗議運動を明確に批判するなど、対決姿勢を示していない。
いままで国内の異議者たちに対してあれほど厳しい弾圧を行ってきた習近平政権にしては、異様ともいうべき「控え目」な対応である。
もちろん、水面下で政権側が各地の抗議運動のリーダーと思われる人たちを密かに逮捕していることは判明しているが、いまのところ抗議運動全体に対する大掛かりな鎮圧行動が行われたという情報はない。
一方で、政権側は各地で警察部隊を総動員して全土の都市部で厳重な警戒態勢を敷いている。つまり、警察力をもって、さらなる抗議活動の発生と拡大の封じ込めに躍起にはなっているのだ。それが功を奏して、12月に入ってから抗議運動は急速に下火となった。