島田次官の「更迭」で、大きな亀裂が
岸田政権発足以降、安倍元総理は岸田政権を支える意向を明確にし、これに対して岸田総理も安倍元総理に一定の配慮をするという関係が続いていた。
これに大きな亀裂が入ったのが今年6月である。岸田総理は、安全保障政策に関しては安倍元総理の懐刀とまで言われた島田和久防衛事務次官を7月1日付けで退任させたのである。
安倍元総理肝煎りの「国家安保戦略」に加え、「防衛計画大綱」「中期防衛力整備計画」という今後の日本の安全保障政策の骨格を規定する防衛3文書の作成に辣腕を振るっていた島田次官の事実上の更迭は、安倍ー岸田関係を一気に冷え込ませた。
「岸田総理の安倍元総理に対する態度は、これまでの『面従腹背』から『全面衝突も辞さず』へと変化したのではないか」
この一件以降、岸田総理への不信感を急速に募らせていた安倍元総理は死の前々日の7月6日の電話でも、私に対して「高市さんを政調会長として続投させるかどうか。これを見れば岸田さんの私に対する真意がはっきり見えるよね」と述べていたのである。
だが、面従腹背の傾向が強まっていた岸田総理に対しても、安倍元総理は一定の配慮を捨てていなかった。
参院選に先立つ6月初旬頃、高市氏から「有志の議員で勉強会を立ち上げたい」と相談された安倍氏は、
「それは素晴らしい案だ。ただ、参院選の前にやると反岸田の動きと勘違いされかねないから、参院選後にしっかりと進めていこう」と応えたという。
安倍元総理は、政策通の高市氏が「高市派」ないし「高市グループ」と言えるような、確固たる議員グループを率いるようになれば、堂々たる総理候補になれると考えていた。逆に言えば「群れない」高市氏の性格が、総理を目指す際にはマイナスになると看破していた。だから高市氏から自主的に議員グループの立ち上げを相談された際には、両手を挙げて賛成したのだ。
しかしその時期を「参院選後」としたのは、ようやく総理になった岸田総理に対する最大限の配慮だった。
「林芳正外相」案に明確に反対した安倍元総理
もうひとつ安倍元総理が気にしていたのは、林芳正外相だった。
岸田政権発足時の組閣人事で、安倍元総理が明確に反対と岸田総理に伝えたのは、林芳正氏の外相抜擢だけだった。それは、日中友好議連という不透明な団体の会長を務めている人物を外務大臣するのは、中国のみならずアメリカや世界各国に対して間違ったメッセージを与える、という総理経験者ならではの知恵だった。
案の定、林外相はアメリカから疑問符をつけられ、新内閣発足後速やかに実施されるはずの日米2+2も、未だに対面形式では実現していない。
岸田政権の外交スタンスを一言で評するなら「完全な従米」である。ウクライナ戦争での対応を見ればわかる通り、何から何までアメリカ・バイデン政権の言うなりである。
もちろん、日本の総理が日米関係を日本外交の基軸に据えるのは当然だ。あとはその度合いの問題である。
安倍元総理が林外相案に反対したのも、アメリカからの情報を吟味した上で、岸田総理のことを思ってのことだった。
ところが岸田総理は、山口県の地元選挙区での安倍家と林家の軋轢など、極めて矮小な問題に着目して、安倍元総理の大所高所からのアドバイスを無視した。
だからこそ死の直前まで、「内閣改造後も林さんを外相として使うのであれば、岸田さんは何か得体の知らないものを背負っているとしか考えられないね」と訝っていたのである。