不正確で不適切、正しい判断ではなかった
案の定、今、私の情報の公開のあり方については、一部から強い批判が出ている。確かに「お亡くなりになった」という書き方は不正確で不適切だったと思う。政府筋の情報として「蘇生の可能性は極めて低い」というような伝え方にするべきだったと反省している。
長い文章を書くだけの心の余裕がなく、Facebookで短く伝える形にしたこと自体が、正しい判断ではなかった。
一番の反省点は、政治記者としての情報公開なのか、友人としての発信なのかが、私の中で整理されていなかった点である。今こうした文章を書いていること自体も、政治記者として不適切な行為なのかもしれない。
他方、確認された事実を伝えずにいるという選択が記者として正しかったかどうかについては、今でも自問し続けている。
私はどんな批判でも正面から受け止める。そして私の人格を否定したり罵倒することで、少しでも溜飲が下がるのであれば、それも私の社会的機能として受け止める。
他方、私の判断を支持してくれる方もいる。一番たくさん情報をくれた、私のSNSでの発信を後押しした近親者からは深く感謝された。
記者としても人間としても未熟な私は、悩みながら罵倒されながら、ただ倒れないで仕事を続ける。
それが尊敬する政治家であり、かけがえのない畏友だった安倍晋三さんへの誓いである。
著者略歴
1966年、東京生まれ。フリージャーナリスト・アメリカシンクタンク客員研究員。90年、慶應義塾大学経済学部卒、TBS入社。以来、25年間、報道局に所属する。報道カメラマン、臨時プノンペン支局、ロンドン支局、社会部を経て2000年から政治部。13年からワシントン支局長を務める。16年5月、TBSを退社。著書に『総理』(幻冬舎)など。