橋下市長が市議会で、大阪湾の再生可能エネルギー事業、特に咲洲でのメガソーラー事業に対する強い思い入れを示していたのである。
ところが松井市長は、鳴り物入りで大阪府知事から大阪市長に転身したばかりの橋下氏が力を入れていた咲洲でのメガソーラー事業が、本人からの一切の指示なく、本人に一切報告されることもなく、副市長によって「勝手に」推進され、決裁されていたと言い張っているのである。
もしこれが事実なら、当時の田中清剛副市長の暴走である。しかし、この人物は大阪市職員OBで、定年後に大阪市の関連団体に天下りしていたところを、2013年2月1日に橋下市長によって副市長に大抜擢された人物なのである。
当時は東北大震災の余波で再生可能エネルギーへの関心が全国的に高まっていた時期である。新任の橋下市長が咲洲へのメガソーラー導入に積極的に関与していたとしても、それは全く自然なことだ。
それなのになぜ、松井市長は副市長案件という言葉を「創造」してまで、橋下徹氏の咲洲メガソーラー事業への関与を全否定しなければならなかったのはなぜなのか。
その疑問を説くカギは、6月10日の市議会の前田和彦市議の質問のなかにあった。次回は「なぜ松井市長が無理な『橋下隠し』を迫られたのか」、市議会の審議を精査する。また、6月24日発売の月刊『Hanada』8月号で「橋下隠し」の核心に触れているのでぜひお読みいただきたい。
(つづく)
著者略歴
1966年、東京生まれ。フリージャーナリスト・アメリカシンクタンク客員研究員。90年、慶應義塾大学経済学部卒、TBS入社。以来、25年間、報道局に所属する。報道カメラマン、臨時プノンペン支局、ロンドン支局、社会部を経て2000年から政治部。13年からワシントン支局長を務める。16年5月、TBSを退社。著書に『総理』(幻冬舎)など。