国民からの「本当の支持」は存在するのか
自衛隊も、確かに就職先の一つではある。だが国民が真に理解すべきは「職業として自衛官を選んだ者」ですら、有事には多くの国民に先立ってその身を敵にさらさなければならない現実である。
『防大女子』や『女性自衛官』につづられた女性たちの声にあるように、普段は育児と仕事のバランスや、職場でのセクハラに頭を悩ませる女性自衛官も、有事には子供を放り出してでも、銃を手に取らなければならない。その葛藤に悩み、自衛隊を去った女性もいる。
一方で今も自衛隊に残る女性自衛官たちは「『その時』のことは覚悟している」という。
もちろん男性自衛官も、同様に覚悟はしているだろう。
ただし、その覚悟を「職業倫理」や「仲間との絆」だけで支えられるのかには疑問が残る。ひとえに国民からの支持、支援がいる。だがそれは存在しうるのか。あれから数十年経ったが、今もまだ「『あー死んだね』で終わり」なのではないか。
〈自衛隊が案山子というつもりはないが、彼らとて国民が運命を共にする覚悟なしには戦えない〉という小幡氏の指摘は今こそ真に迫るものだろう。
ウクライナ有事を目の当たりにし、日本では「一般人が殺されるのを見ていられない。抗戦するな、逃げろ」と述べる「有識者」も散見される。あるいは将来的には「憲法九条の完全実施」、つまり自衛隊の解散を掲げながら、「政権を取ったら危ない時には当面自衛隊を『使う』」などと言ってのける公党(共産党)の党首がいる。
しかしそれは、カッコつきの有識者や共産党関係者の見識だけに帰する問題ではない。
〈自衛隊の抱える病理とは何か、それまさしく、国民の病理でもある〉という小幡氏の指摘をかみしめるほかない。
ライター・編集者。1980年埼玉県生まれ。月刊『WiLL』、月刊『Hanada』編集部を経てフリー。雑誌、ウェブでインタビュー記事などの取材・執筆のほか、書籍の編集・構成などを手掛ける。